芸術作品が生まれる場所は、どのような空間だろうか。どれほどの名作であろうと、初めは作家の手によりひっそりと誕生し、静かに完成を迎える。そこは聖域である。
キリストやピエロなどの絵を多く描いた、フランスを代表する画家ジョルジュ・ルオー(1871〜1958)。パナソニック汐留美術館にて6月21日(日)まで開催中の「ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶」では、ジョルジュ・ルオー財団の特別な協力のもと、晩年のルオーが制作に取り組んだアトリエが再現されている。同館では約270点のルオー・コレクションを所蔵し、館内にルオー・ギャラリーが設けられ作品が常設展示されており、ルオーに関連する企画展が幾度も行われてきた。本展はパナソニック汐留美術館にとって100回目となる記念の展覧会として、ルオーの創作現場に迫る内容となっている。
師ギュスターブ・モローの教えを受け、画家の道を歩む

モローの作品(左)とルオーがモロー教室で学んでいた頃の作品
象徴主義の画家として名高いギュスターヴ・モロー(1826〜1898)は、ジョルジュ・ルオーにとってかけがえのない師であり、精神的支柱であった。本展は、師モローの作品《オルフェウスの苦しみ または地上で涙にくれるオルフェウス(習作)》から幕を開ける。
ルオーは1890年に画家になることを決意し、パリ国立美術学校へ入る。解剖学に基づくデッサンなどアカデミックな美術教育に身を置く中、ほどなく1892年、モローが教授に任命されると、師から革新的な教えを受けていく。当時の教授陣は、自らの絵画の模倣を課題とすることが常だったが、モローは自作の模倣を禁じ、生徒と共にルーヴル美術館などを訪れ、古典絵画の模写などをすすめた。デッサン偏重の教育を脱し、学生の内なる資質、感性を伸ばしていくことを目指した。
本展では、当時の数少ないデッサンを目にすることができる。コンクールではデッサン力が重視されたため、解剖学を重んじた人体描写や遠近法、古典主義的技法による明瞭な線描が見られる。ルオーはこうした伝統的技法を習得しながら、モローからマティエールの重要性や、色彩感覚を学んでいく。
勤勉で才能に秀でたルオーに、モローは格別な愛情を注いだ。二人は師弟を越えた関係を築き、幾度も文通を交わしながら、モローが死の淵に立つまで親交を深めた。
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モローの死。同時代の画家と共に独自のスタイルを模索

フォーヴィスムの影響が見られる作品
1898年、モローが亡くなる。その死はルオーに大きな打撃を与えた。国立美術学校を退学し、自らの力で画家を志すが、なかなか心身は回復に至らなかった。
そんなルオーの支えとなったのが、モロー教室を共にした学友たちの存在だ。パリのクリシー広場そばに構えた共同アトリエに通い、ルオーは彼らと再び交流を深める。そこにはアンリ・マティス、アルベール・マルケ、ピエール・ボナールなどが集った。のちにフォーヴィスム(野獣派)と呼ばれる作家たちの中で、ルオーも絵画に向かい、アカデミズムの枠を取り払って自らのスタイルを模索していく。
宗教画家として名高いルオーが、同様に多く描いたのは、娼婦や旅回りのピエロなど、社会的に弱い立場にいた人々である。対象を勢いある筆致でとらえており、写実的描写を退けながらも、陰影、深い色調から存在の重みを伝えてくる。
また、ルオーはほかにもアトリエを有していた。師モローより個人美術館の運営を託されたルオーは、モンマルトルに近いパリ9区にあるギュスターヴ・モロー美術館の初代館長を務めるかたわら、そこに住み込み、師の残した絵画、創造空間から多分な影響を受けながら自作を手がけた。また、同じ通りに小さな個別のアトリエも構えた。そこはアトリエ街で、階段の踊り場を挟んだ隣の部屋ではピエール=オーギュスト・ルノワールが住んでいたという。
ルオーは孤独に宗教画を描き続けた画家というイメージが持たれがちであるが、若き日のルオーの足取りを追うと、同時代の画家と互いに影響を与え合いながら活動を続けていたことが窺える。中でもモロー教室を共にしたマティスとは長年にわたり交友を続け、芸術における信条や、仕事や美術業界、健康状態などについて、晩年まで手紙を交わしている。『マティスとルオー 友情の手紙』(みすず書房 2017年)に詳しいため、関心のある方は一読をすすめたい。
画商ヴォラールとの出会い。ルオー独自の画風へ

ヴォラール邸で制作していた時期の作品
ルオーが画家として道を切り拓いていく中で出会った重要人物に、画商のアンブロワーズ・ヴォラールがいる。セザンヌやピカソ、マティス、フォーヴィスムの作家たちを世に送り出した敏腕の画商であり、ルオーも彼に才能を見出された。
ルオーの作品に強く魅了されたヴォラールは、1907年に初めて作品を購入し、1917年にはアトリエにある作品を全て購入した。そして1925年、パリ7区のマルティニャック通りにある自邸の2階を、ルオーが自由に使えるアトリエとして開放する。ルオーはそこで同時代の画家たちの作品に囲まれながら作品制作に没頭した。
裁判官。ピエロ。キリスト。スタイルを模索する時期を経て、この頃から今日多くの人が「ルオー」と聞いて想像するであろう原型が見られ始める。太い輪郭線。厚塗り。塗り重ねが抑えられているせいか、後期の思索的な深い色に比較すると、明快な印象を受ける。ルオーは、美術学校に進む前はステンドグラス職人の見習いとして働いていた。太い輪郭線は、教会のステンドグラスとの共通点が指摘されている。

銅版画作品『ミセレーレ』
本展では、ヴォラールが書いた風刺的な物語にルオーが挿絵を描いた『ユビュおやじの再生』、ルオーの代表作『ミセレーレ』などの銅版画作品も展示されている。
ルオーは長く『ミセレーレ』の構想を温めており、本作の制作を条件に、『ユビュおやじの再生』の仕事を引き受けた。「ミセレーレ」は、ラテン語で「憐れみたまえ」を意味し、キリスト、受難、敬虔な祈りに身を捧げる人々などが描かれている。計58点からなる大作で、ルオーが40代前半から56歳までの期間に手がけられた。重厚な作品世界には、戦争、大量虐殺への反抗の念が強く投影されている。モノクロームの世界に光る肢体、跪き、頭を垂れる姿を前に、胸が静まり返る。

(左)ジョルジュ・ルオー 《モデル、アトリエの思い出》 1895年/1950年頃 油彩、インク、グワッシュ/カンヴァス パナソニック汐留美術館
本展のメインビジュアル《モデル、アトリエの思い出》は、下絵が1895年に制作され、1950年に再び着彩された。制作時期から、モローのアトリエでの風景が描かれていると考えられている。デッサンをする時、当時のモデルは支え棒を使って長時間のポージングを取っており、本作にもそれを見て取ることができる。若き画学生だった頃の感性に、ルオーが筆を乗せた本作。当時の情景、筆触をいかに見据え、着彩していったのか。思いを馳せたい。


《クマエの巫女》とは、キリスト降臨を予言した巫女(シビュラ)として解釈されてきた存在である。クマエの巫女はアポロンの愛を拒んだため、若さを奪われたと伝えられる。ルネサンス期より繰り返し画題にされ、年老いた女性の姿が描かれることが多かったが、ルオーが描く姿は、若い女性の姿だ。手元の花が巫女の可憐さを象徴するようである。ルオーは空想の中で、本作のクマエの巫女から、人類の未来や科学の在り方について、こんな示唆を得たという。
ロマンチックな象牙の塔はもはや時代遅れです。新しいバベルの塔が築かれます。しかしそれは、古代の群青色の空に向けてではなく、もしかしたら地下墓地に築かれて、私たちは原爆やそれに類する滑稽な新発明からは遠く離れて生きるでしょう。穴居時代の人々のように(略)
(Jewell Edward Alden 『Georges Rouault, Introduction de Georges Rouault』 paris, Éditions Hypérion, 1947)
本作を見つめていると、モローの作品《ヘロデ王の前で踊るサロメ》が思い出される。横顔のサロメが白い蓮を手にし、クマエの巫女と同じように俯きがちに目を閉じている作品で、師弟の深い共振を感じさせる。
ルオー最晩年のアトリエ。作品の交感を生む創造空間

1948年、ルオーはパリ12区にあるリヨン駅前に、最後のアトリエを構えた。そこは自宅も兼ねており、アトリエはルオーの部屋の奥に別室が設けられ、家族の立ち入りも制限されていた。現在この邸宅はジョルジュ・ルオー財団の拠点となっているが、アトリエは一般公開されていない。この度パリを出ることは初のことであり、日本でルオーの制作現場を目の当たりにできるまたとない機会と言える。
天井近くまである大きな窓も再現されており、降り注ぐ採光を背に制作に取り組むルオーの姿が想像される。再現されたアトリエは開放感があるが、実際には多くの絵や画材などに囲まれた混沌とした空間で、画家は20平米ほどの空間で制作していたという。テーブルの上には当時のエボーシュ(画稿)が数多く置かれ、ガラスケースにはルオーが手にした画材道具が並ぶ。
ストゥールも置かれているが、ルオーは制作時、主に立って描いていたそうだ。水平の状態が色を塗り重ねやすかったのか、作品を俯瞰する距離を確保していたのかもしれない。また、ルオーが信仰を描き続けたことを思うと、自らの足で立ち、全身の神経を働かせながら描いていたことは自然なことのように思える。

ルオーが制作する様子
半円形に広がる特徴的なテーブルは、ルオーの制作スタイルに沿ったものだ。ルオーは完成途中の絵を机の上に多数平置きし、重ねて制作した。一つの作品制作に疲れたら、別の主題に移るといったふうに、同時並行的に複数の作品を手がけていたという。1点集中で完成させるのでなく、作品間の交感が起こり合う環境を設けていた点は興味深い。それゆえか、ルオーは周囲のサインを促す声をすぐには受け付けなかったという。
アトリエにはサインのない未完成の作品が多く残されたが、1958年のルオーの死後、娘で作品の管理者イザベル・ルオーによりアトリエ印が押され、真作であることが示されている。

一部作品は裏側も鑑賞できる。裏には絵具が付着し、制作の跡が残る

ルオーが用いた絵具
なお、長年ルオーが館長を務めたギュスターヴ・モロー美術館にも、モローの未完作品が多数残されていた。ルオーは師の制作環境に長く身を置き続けたことも影響し、作品が長い年月をもって完成する、あるいは画家の手によってしか完成しないものであるという考えを抱いていたのかもしれない。

通常ルオー・ギャラリーとして常設されている展示空間では、ルオーのアトリエに最後まで残っていた作品を目にすることができる。
ルオーが晩年繰り返し描き続けた聖書の風景。ルオーは当時の風景を見つめながら、自らの心象風景を重ね、聖書の世界に思いを馳せた。ルオーが特に愛した時間は、日中から夜に変わっていく夕刻であったという。夕日が放つ輝き、金色やオレンジ、夜の闇、紫や青が重なり合っていく変遷を、力強い筆触と繊細な色彩で情景豊かにとらえている。
ルオーの制作現場に着目し、画業の変遷をたどることができる本展。作風に大きな変化を見せながら、弱き人々や信仰の世界を深いまなざしで見据え、作品に昇華し続けてきたルオー。一筆一筆、祈りのように塗り重ね生まれたマティエール、太い輪郭線で覆われた対象の実体、鮮やかで深淵な色彩を、その創造空間を間近に感じながら、存分に味わいたい。
出典・参考文献
『ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶』カタログ 2026年
『モローとルオー -聖なるものの継承と変容-』図録 淡交社 2013年
『マティスとルオー 友情の手紙』みすず書房 (著)アンリ・マティス、ジョルジュ・ルオー(編)ジャクリーヌ・マンク(訳)後藤新治、石川裕美(監修)パナソニック汐留ミュージアム(執筆)増子美穂 2017年

| 会期:2026年4月11日(土)〜 6月21日(日) 開館時間:午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで) ※6月5日(金)、19(金)、20 (土)は夜間開館 午後8時まで開館(入館は午後7時30分まで) ※土・日・祝日は日時指定予約制(平日は予約不要) 会場:パナソニック汐留美術館 休館日:水曜日(ただし6月17日は開館) 公式Webサイト: https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/26/260411/ |