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書く。描く。これら二つの行為を軽やかに乗り越えられるだろうか。あるいは境界をにじませ、両者を行き交うことができるだろうか。その境界を自然と越えた代表的な存在に、詩人で美術批評家の瀧口修造(1903〜1979)がいる。瀧口はシュルレアリスムの誕生初期からその芸術活動に着目し、日本へ紹介するとともに国内外の前衛芸術家を発掘し、世に送り出してきた。また、シュルレアリスムを実践し、デッサンや写真などイメージを現出させた作品も残している。詩人として、美術批評家として、「書く」ことに発した瀧口の表現は、いかに「描く」へ向かったのか。

そんな瀧口の表現活動の広がりを目にすることができる「瀧口修造 書くことと描くこと」展がアーティゾン美術館にて10月4日(日)まで開催中だ。本展は近代美術の文脈において瀧口が残した作品の位置付けを再考するもので、アーティゾン美術館を運営する石橋財団が所蔵する瀧口修造の作品163点から90点以上、関連作家と併せて約140点が出展されている。豊富な知見と鋭敏な感性をもって芸術に向かい、自ら実践を重ねた作家の軌跡をたどりたい。

(楡 美砂)

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日本にシュルレアリスムをもたらし、多くの若手作家を輩出

瀧口は1903年に富山県に生まれた。幼少期に父のカメラに触れ、暗室で現像をした経験も影響し、視覚的なイメージに早くから触発されていた。慶應義塾大学文学部で英文学を専攻し、詩人で英文学者の西脇順三郎に師事した。オックスフォード大学で学んだ西脇から西洋で興っていたダダイスム、シュルレアリスムについて教わり、研究を深めていく。1930年、アンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』を翻訳し、シュルレアリスムの潮流を日本へ広く伝える契機を生んだ。
本展では、瀧口が公に「書く」ことを始めた頃の貴重な資料も展示されている。

師・西脇順三郎や瀧口修造が発表したシュルレアリスムを伝える当時の書籍

1924年にアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』に誕生した芸術運動シュルレアリスムは超現実主義を意味し、意味に結実する以前の無軌道のイメージ、無意識を自動書記などのオートマティスム的アプローチで体現しようとした。ルイ・アラゴン、ポール・エリュアールなどの作家、ジョルジュ・デ・キリコ、ジョアン・ミロ、サルバドール・ダリなどの画家や写真家マン・レイなど、今日まで芸術界に多大な影響を与えてきた。本展では日本にシュルレアリスムを初めて伝えた『超現実主義と絵画』(アンドレ・ブルトン 1930年)や、当時に刊行された貴重な書籍、瀧口の詩作品なども目にすることができる。瀧口は1938年に刊行した『近代藝術』において、ポール・セザンヌから、キュビスムへ続く流れを軸に、近代美術の文脈の中でシュルレアリスムを位置付けようと試みた。本書をふまえ、本展の始まりにはセザンヌ、ピカソ、ブラックの作品が出展されている。

「瀧口修造」展示風景

また、瀧口は論評を通じて多くの前衛作家たちを紹介したことでも知られる。展示企画にも加わり、神田・駿河台にあった竹見屋画材店に設けられたタケミヤ画廊の作家を瀧口が選定し、世に送り出した。タケミヤ画廊を出身とする画家は、オノサト・トシノブ、野見山曉治、福島秀子、草間彌生などが挙げられる。本展では、こうした瀧口と縁の深い作家たちの作品も観ることができる。

福島秀子《銀の絵》1959年 油彩・カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館
「瀧口修造」展示風景

シュルレアリスムを紹介した美術批評家として大きな影響力を放った瀧口だが、彼が論評だけでなく詩作にも秀でたことは、作品と言葉の交感をより強固にしたと言える。本展では、瀧口が作家たちに寄せた言葉も多数味わうことができる。瀧口のどこか魔術的な言語は、意味の中に作品を閉じ込めることなく、世界の奥行きを深め、実像を引き立たせ、神秘へ誘う言の葉が連続する。
意味や意識の檻から根源的な衝動を解放していくシュルレアリスムを、言葉を介して実践していた瀧口は、やがて言葉に留まらないイメージの創出に取り組んでいく。

言葉は、現象とともに、日々、泥にまみれ、みずからを細分化し、たえず新造語し、ふたたび定義しつづけるだろう。
だが言葉に先だつものはイメージだ。
現代は、こうしてイメージの時代と化したように見える。
(中略)
現代のイメージとはどんなものか。
そこにはカタログがない。
可能と不可能のあいだのすべてがある。
イメージの象徴主義は極限に達したように見える。
イメージは復讐しつつある。

(『瀧口修造 白と黒の断想』「影像人間の言葉」より 瀧口修造 幻戯書房 2011年)

線。点。デカルコマニー。オートマティスムが魅せる雄弁な世界

1960年頃、瀧口は自身が「デッサン」と称する造形作品を本格的に試み始める。瀧口はまず、線の動きに着目した。

瀧口修造《作品》1960年 インク・紙 石橋財団アーティゾン美術館

瀧口修造《無題》1961年 水彩、ボールペン・紙 石橋財団アーティゾン美術館

ボールペンを手にし、紙に脈絡のない線を描く。「ただの落書き」と取る人もいるかもしれない。落書きの定義がはっきりしないうちは安易に否定できないが、その一見何でもない線は、確かに異様な磁力を放っているように見える。じ、と視線を注いでいると、線の表情や動きに引き込まれていく。
これらの試行の数々にはいくつかの共通点を見出せる。一つは迷いがないこと。筆致から一定のスピードを感じ取ることができる。一筆書きが多く、書き直しはほぼない。そして、線が雄弁であること。線は何かを言いたそうに、くねったりたわんだり折れ曲がったりしながら、文字のような、オブジェのような、独特の風貌を呈し、語りかけてくる。

瀧口修造《無題》1960年 インク・紙 石橋財団アーティゾン美術館

(左)瀧口修造《無題》1961年 水彩・紙 石橋財団アーティゾン美術館
(右)瀧口修造《無題》1962年 水彩・紙 石橋財団アーティゾン美術館

瀧口修造《無題》 水彩・紙 石橋財団アーティゾン美術館

線、線、線。こうして線を書いているうちに、奇妙な一筆描きのような、自動的な線が突然あらわれはじめた。それはうねうねとくねりながら、空中にロープを回すような具合に、上から下へと急降下する。

(『芸術新潮』1961年5月号 「私も描く」より)

反復の中、雄弁な自動現象が起こっていく。これは人間に根付く習性とされ、シュルレアリスム宣言が大きな発端となり、文学、美術に留まらず芸術全域で取り入れられてきた。例えばフランスの映画監督の巨匠ロベール・ブレッソンも、役者たちのコントロールされた演技を好まず、「モデル」と呼んだ素人を度々採用したことで知られる。モデルが自動的に動くようになるまで何度も同じ動きを取らせ、その果てに真に独自性ある現象に至ることを目指した。
瀧口の試行からも、反復が成すオートマティスムを経て、真理の頂きを目指す探究心が感じ取れる。その線の流れや、交わり、次第に重なり合っていく水滴との変奏に意識を合わせてみると、線の呼吸の長さの変化や、水の飛沫が見せる毛羽立ちのようなにじみにとらわれ、感覚のひだがほぐれていく。

瀧口修造《作品》1961年頃 吸取紙 石橋財団アーティゾン美術館

「瀧口修造」展示風景

粒子が液状に流動していくさまに瀧口は魅了されていた。それは、点と線が奇怪でありながら自然美的な流線を宿し、偶然性に任せ、瞬間の一切れを収めたかのような作品群。その波や、点の際立ち、色の混合、濃淡の変容を前に、瞬間にとどめられた無限の流動性を見る。

こうしたイメージが際立つ手法として、瀧口が度々採用したのがデカルコマニーだ。デカルコマニーとは、紙やガラスなどの間に絵具を置いて挟み、偶発的な模様を生み出す手法。1936年頃にシュルレアリストのオスカー・ドミンゲスが始め、瀧口も繰り返し実践している。絵具が混ざり、はがされる際に生まれる模様は鉱物の断面のようである。

瀧口修造《私の心臓は時を刻む》1971年 デカルコマニー・紙 石橋財団アーティゾン美術館

(左)瀧口修造《無題》1971年頃 デカルコマニー・紙 石橋財団アーティゾン美術館
(右)瀧口修造《無題》1971年頃 デカルコマニー・紙 石橋財団アーティゾン美術館

ふいに動きを封じられた絵具が見せる微細な残響は、絵画的な様相も帯びている。粒子が元来液状の特性を有することをありありと見せつける。トルコには、コーヒーカップに残った粉の模様から未来を読むというコーヒー占いが古くから存在するが、デカルコマニーが見せる粒子の雄弁さを前にすると、そこへ目に見えない神秘を見出そうとする姿勢にも頷ける。

瀧口はまた、黒い紙にモーターなどの回転する機械を用いて円形のデッサンを描くロトデッサンや、紙を火であぶり、繊細で生々しいマティエールを生み出すバーント・ドローイングなど、数々の実験的アプローチを重ねた。

瀧口修造《無題》1971年 ロトデッサン・黒紙 石橋財団アーティゾン美術館

瀧口修造《書かれなかった帖面》1963-76年 バーント・ドローイング、コラージュ・半透明紙 石橋財団アーティゾン美術館

同時代を生きた芸術家たちへの感応

「瀧口修造」展示風景
ミロが描いた絵に、瀧口の詩が添えられた『手づくり諺 ジョアン・ミロに』

瀧口はシュルレアリスム、ダダイスムに連なる多くの作家と交流した。代表的存在に、アンドレ・ブルトン、マルセル・デュシャン、ジョアン・ミロ、パウル・クレーなどがいる。本展で特に見逃せないのは、はミロとの協奏だ。1940年に発表した瀧口のミロ論は、ミロに関する世界初の本となった。それから1966年の秋、ミロが展覧会のために来日した際に瀧口とミロは初めて対面し、その後書簡を交わしたり、詩と絵画の共同制作をしたりと交流を深めた。ミロの抽象絵画に瀧口の言葉が添えられ、よりその世界を自由に飛翔させていく。

瀧口は1940年に世界で初めてミロ論(写真左)を発表した

突風に飛びゆく不眠の石は
石の分身。夜よ、速く!
誰か? まずはものを言え、透明よ!
永遠は夜とともに渇き、
水とともに流れる。

(『瀧口修造 白と黒の断想』「手づくり諺 ホアン・ミロに」より抜粋 瀧口修造 幻戯書房 2011年)

パウル・クレー、アンリ・ミショー、マーク・トビー、ルーチョ・フォンタナなどと共に瀧口の作品が並ぶ

また、シュルレアリスムやアンフォルメル、ネオ・ダダなど、瀧口が注目し続けた前衛的画風の作家たちの作品が集まる。瀧口の作品と並べた時、どのような感応が起こるか体感したい。

「瀧口修造」展示風景

瀧口修造、岡崎和郎《檢眼図》1977年 石橋財団アーティゾン美術館 © Kazuo Okazaki
マルセル・デュシャンの代表作《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》に見られる「眼科医の証人」を立体化した作品

詩人の視点から、言葉とイメージを行き交う

日本の近代美術史において瀧口の存在は大きく、近年は瀧口が着目した画家や写真家などの企画展が度々開催されている。その中で、次第に瀧口自身のデッサンや写真にも注目が寄せられてきたように思う。専門的な美術教育を受けていない瀧口の作品が見せる思索的な線、緊張感ある構図などは、著述活動を支えた審美眼を示しつつ、高度な実験の痕跡を伝える。文学から芸術全域へシュルレアリスムが広がりを見せたように、瀧口の「書く」から「描く」への移行は、実践を重んじたシュルレアリストの生きざまが現れている。

私はどこまでも動機を尊重したい。というよりも、私のデッサンにすこしでも取り柄があるとすれば、動機だけだといえるようになりたいのである。

(『芸術新潮』1961年5月号 「私も描く」より)

瀧口の作品は作品世界よりも、試行のプロセスが際立つ。シュルレアリスムを生きた瀧口は、作品を統制しようとすることをした途端、シュルレアリスムは息絶えてしまうことを知っていた。沈黙がなければ、無意識は横溢しない。

なぜ描く?この疑問は沈黙によってしか答えられないだろうが。

(『余白に書く』「サム・フランシスとともに」瀧口修造 みすず書房 1996年)

瀧口の作品がこれほど一堂に介し、関連作家との連なりも含めて対峙できる機会はそう多くない。沈黙の中で言葉やイメージに触れ、自らの無意識の変容をたどってみてはどうだろう。

「瀧口修造」展示風景

同時開催中
「エットレ・ソットサス —魔法がはじまるとき、デザインは生まれる」自由な感性、ときめきに満ちた空間へ

出典・参考文献
『石橋財団コレクション 瀧口修造』 公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館 2026年
『瀧口修造 白と黒の断想』瀧口修造 幻戯書房 2011年

「瀧口修造」展示風景

展覧会情報

瀧口修造 書くことと描くこと
会期:2026年6月23日(火)〜2026年10月4日(日)
会場:アーティゾン美術館 5・4階展示室
開館時間:10:00〜18:00(毎週金曜日は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(9月21日は開館)、9月24日
公式Webサイト: https://www.artizon.museum/exhibition_sp/takiguchi2026/

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