芸術が生まれようとする時、美術であれ、音楽であれ、文学であれ、根底では似通った衝動が起こる。作品をなす核が、胎動している。その衝動をどの媒体で表すかは表現者によるが、中でも横断的な影響を有するのは音楽なのかもしれない。振動の越境性。音楽は目を閉じていても耳にするだけで視覚的なイメージをもたらすし、言葉も届ける。意識を超越し、脳内に鳴り続ける。
美術を通じて音楽を表現した画家として、リトアニアを代表する芸術家ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスがいる。若くして音楽の才能を発揮し、次第に絵画の道にも進み、抽象、象徴主義にも通じる音楽性の高い絵画を多数発表した。国立西洋美術館で6月14日(日)まで開催されている「チュルリョーニス展 内なる星図」では、リトアニアの都市カウナスにある国立M. K. チュルリョーニス美術館から、絵画や版画、素描など、約80点が出展されている。作家の足取りをたどりながら、リトアニアの風土と密接なつながりを持ちつつ宇宙的な広がりを見せるチュルリョーニスの芸術を探求したい。
(楡 美砂)

音楽と絵画の道へ。故郷リトアニアへの想い

(左)《春》1907年 テンペラ/紙
(中央)《春》1907年 テンペラ/紙
(右)《春》1907年 テンペラ/紙
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスは1875年にリトアニア・ヴァレナに生まれた。9人兄弟の長男だった。父はオルガン奏者で、チュルリョーニスの傍らにはいつも音楽が流れていた。父から音楽を学び、5歳の頃に耳で聞いて演奏できるほどになり、7歳の頃には楽譜を読んでいた。
裕福な家庭ではなかったが、才能ある子供たちを周囲の大人たちも支えた。チュルリョーニスは、一家の友人だった医者を介してリトアニア西部の町プルンゲに領地を持つミハウ・オギンスキ公爵の援助を受け、教育や音楽演奏の機会を得られた。プルンゲ滞在時に、チュルリョーニスは作曲、素描を始め、絵の才能を伸ばし始める。オギンスキ公爵から才能を認められたチュルリョーニスは、奨学金の支援を受けてワルシャワ音楽院(ポーランド)で学べることとなった。

(中央)《閃光Ⅱ [3点の連作より]》1906年 テンペラ/紙
(右)《閃光Ⅲ [3点の連作より]》1906年 テンペラ/紙
そうして1894年から、チュルリョーニスはワルシャワ音楽院で6年にわたり音楽理論、和声などを学ぶ。ワルシャワの街で出会う文化は、チュルリョーニスを大いに刺激し、見識を広げた。演奏会、オペラやバレエの劇場などに通い、多彩な書物に触れ、文学、歴史、哲学、物理学、化学、数学、自然科学、天文学などの分野を独学で学ぶ。広い分野にわたる芸術を、深く吸収した背景には、音、自然、宇宙への深い関心が通底していたのだろう。さらに1901年にはドイツ東部にあるライプツィヒにある王立音楽院で作曲や管弦楽法、対位法について習得する。
この時期、家族に送られた手紙の中では、チュルリョーニスが自らの音楽に「リトアニア特有の憧憬の響き」が現れているとし、当時師事していたドイツ人教師ライネッケから「理解されないのは無理もない」と記されている。チュルリョーニスは異国の地で滞在することに孤独を覚え、祝祭日には絵を描くことに没頭し始める。音楽の研究をするとともにライプツィヒ美術館を訪れて、アルノルト・ベックリンやマックス・クリンガーなど象徴主義の作品から影響を受けていく。

(右)《山》1906年 テンペラ/紙
1904年3月、ワルシャワ美術学校が開校し、チュルリョーニスは第一期生として入学する。ワルシャワに拠点を置きつつ、故郷リトアニアの自然を思いながら絵を描き続けた。また、1905年には、黒海とカスピ海の間に広がるコーカサス地方を旅し、高くそびえる山々に感銘を受け、自然に対する畏敬を一層高めた。
チュルリョーニスの作品は、自然そのものだ。それは写実性の高さを指すのでなく、自然の素朴さ、静かな揺らぎ、響きを描き表している点にある。筆触が風のようであり、風が通り過ぎていくように景色が描かれる。つかみどころがなく、常に揺れ動き続ける自然のように、画面の随所に霞み、やわらぎを残す。流線が、風とともに自然のリズムを届ける。
多くの作品はテンペラや水彩で描かれている。チュルリョーニスにとって、自然や音の移ろいを表現する上で適した画材だったのだろう。

細く流れ落ちるような線が印象深い本作。水分量の多いテンペラ画だ。上部に薄い色で広がる影は木々の葉であり、細い線により幹が表現されている。本作を初見で見た際は、雨の表現のように受け取れた。色みから、それは黒い雨のような、血液のしたたりのような、奇妙な感覚にもさらされたが、繊細な震えを見せる線に引き込まれた。木々の頭部は上空の空と一体化しており、幹の下部は地から生まれ出たというより、天地をつなぐ媒体のようでもある。木のような水、水のような木、両者が共存する表現を垣間見る心地がした。

「フーガ」、「ソナタ」。音楽を奏でる絵画
ヴァイオリニストを志すほどの腕前だったパウル・クレー、鋭い共感覚で音楽を絵で表現したワシリー・カンディンスキーなど、音楽を着想源とした画家は多い。チュルリョーニスは、音楽家として楽曲を発表する傍ら絵画制作を開始し、音楽の構造を下敷きに絵画を完成させた点で特筆すべき存在だと言える。音楽を主題とした作品は、豊かな音楽的躍動を宿しつつ、まるで楽譜を見るような精密さも見て取れる。

フーガは対位法を基にした音楽形式で、主に同一の旋律が複数のパートに現れ、追走するように展開される。本作は、フーガの音が、そのまま画面に響きわたるような作品だ。
木々、抽象的なオブジェが連立するシルエット群。塔や、首を垂れて座る人、天を差す指などの存在が指摘されている。こうした一連のイメージが下部右に描かれ、フレーズが響きわたり、波紋を生んでいくように画面に広がる。姿やサイズを微妙に変えながら、反復していく像。水面に映るモミの木。その反転は、さながら音の波を示すようでもある。
リトアニアでは、樫の木が父性的な力を示し、白樺が若々しい兄弟を、そして、モミの木は慈愛に満ちた母を象徴するという。無力な者を守る避難所であり、神々の使者が訪れる宿り場ともされている。


《第3ソナタ(蛇のソナタ):アレグロ》1908年 テンペラ/紙
《第3ソナタ(蛇のソナタ):アンダンテ》1908年 テンペラ/紙
《第3ソナタ(蛇のソナタ):スケルツォ》1908年 テンペラ/紙
《第3ソナタ(蛇のソナタ):フィナーレ》1908年 テンペラ/紙
こちらは、音楽のソナタ形式を取り入れた《蛇のソナタ》の連作だ。アレグロ、アンダンテ、スケルツォ、フィナーレの4楽章を絵画で表現している。緑の淡いモノクロームで描かれる、夢の中にいるような余剰ある光景。4作を貫くモティーフは蛇である。一見してとらえにくいかもしれないが、絵に溶け入るように蛇が描かれている。いずれの蛇も存在を主張することなく、構造物や自然に身を委ねるような動きを見せており、獰猛さや、恐怖を抱かせる要素はかけらもない。ここには、リトアニアの神話や民間信仰の影響を見ることができる。無毒でおとなしいこの蛇は、リトアニアでは太陽の女神サウレの死者とされており、繁栄や豊穣をもたらす存在として神聖視されている。また、蛇は叡智を象徴する生き物であり、本作を知性への渇望や精神活動と紐付け、その発展を描く作品としても読み解くこともできる。


本作を描いている時、チュルリョーニスは婚約者のソフィヤ・キマンタイテとリトアニアの海辺の保養地パランガに滞在しており、至福の時間を共にしていた。若き文学者ソフィヤはチュルリョーニスに多大な霊感を与え、公私にわたるパートナーとして、互いの表現活動を高め合った。
生命の根源、躍動、循環に直結する「海」に対峙し、私的な幸福感と併せて画面に結晶させた本作。海の姿は、意匠性を感じさせる抽象的イメージに昇華されている。波のしぶきは丸いビーズのような輝きを見せている。《第5ソナタ(海のソナタ):フィナーレ》は、一般的に葛飾北斎の《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》の影響を指摘されている。チュルリョーニスがジャポニスムの波に接したことは自然であり、疑いはないが、その類似性よりも、淡く霞む色彩、細胞のようなしぶきの描き込みなど、一貫したチュルリョーニスの独自性に魅せられる。
なお、チュルリョーニスは、絵画に限らず海を描き続けており、1903年に音楽で交響詩「海」の草稿を、また、散文詩「海」も残している。



リトアニアの自然、伝承、伝統文化へのアプローチ。内なる覚醒に向かって
バルト三国の南部にある最大の国リトアニア。ヨーロッパの中ではキリスト教が最も遅い時期に布教された地域の一つであり、古くから国内で独自の信仰が生み出され、継承されてきた。多神教であり、自然を崇拝するアニミズムが浸透している。そうしたリトアニアの自然、信仰を尊び、表現してきたチュルリョーニスの作品からは、西洋絵画史における位置づけを軽く振り払うような、独立した哲学が感じ取れる。

(中央)《ライガルダスⅡ[三連画「ライガルダス」より]》1907年 テンペラ/紙
(右)《ライガルダスⅢ[三連画「ライガルダス」より]》1907年 テンペラ/紙
リトアニアが広大で、平らかな土地であることを示す作品の一つである。3つの額にわたって画面いっぱいに描かれるのどかな風景は、チュルリョーニスの故郷ドルスキニンカイ近郊の谷間の風景が描かれている。中央には白い川がたおやかに流れ、3作をつなぐ。

リトアニアの名所として「十字架の丘」が知られている。リトアニアで見られる独特の十字架は、キリスト教が国教とされる以前から存在した自然崇拝や祖霊信仰による樹木や石に畏敬の念を表す慣習と深く結びついている。民間信仰として根付いたこれらの十字架は、死者の弔い、旅の安全、豊穣祈願などを祈り、墓地や、道、農家の敷地内など、至る所に建てられた。
本作は、リトアニア独自の文化が深く息づくジェマイティヤ地方の十字架を取材し制作された。ただし、多くのチュルリョーニス作品がそうであるように、目に見える土地の風景には依拠せず、民族独自の精神的な風景を象徴的に具現化したものと受け取れる。空には、魂の道標とされる北斗七星が描かれている。

リトアニアの自然、そして文化を生涯愛したチュルリョーニスは、1910年に伝統的な民芸品やデザインを広く紹介することにも力を注いだ。妻ソフィヤとの共著『リトアニアにて:リトアニア知識人への批判的視線』を発表する。二人の記念碑的な作品に、チュルリョーニスは表紙を捧げた。木彫などに見られる伝統的な装飾をベースに、アール・ヌーヴォー様式と融合したモダンなデザインだ。本展で展示される作品は、文字や、植物、民謡などが自然物をモティーフに繊細に紡がれており、チュルリョーニスのデザインの才も感じ取ることができる。
本書では、知識人層に向けて民族としての自己認識、文化的理解を促し、芸術が果たす役割を説いた。チュルリョーニスとソフィヤは、芸術は民族を教育するものでなく、民族のうちに秘められたありようを覚醒させると訴えた。


チュルリョーニスとソフィヤはバルト海を望むパランガに滞在中に、さまざまな作品を構想した。リトアニア神話を主題としたオペラの制作を志し、本作はその神話を描いた作品である。バルト海の深くに琥珀の神殿が存在し、そこには海の女神ユラーテが住む。禁猟区で漁をした若い漁師にユラーテは怒り、罰するために海面に姿を表すが、男の純粋さに魅了されて恋に落ち、宮殿に連れ込む。神と人間との恋に激怒した雷神ベルクーナスは、稲妻で琥珀の宮殿を打ち砕き、男を殺す。ユラーテはこれを嘆き、女神が流した涙が海を満たし、砕けた宮殿の琥珀のかけらが、バルト海に打ち上げられているという。
この神話の脚本を、ソフィヤはリトアニア語で書き、チュルリョーニスは作曲、そして舞台装飾を担った。総合芸術の実現に向けてプロジェクトは推進されたが、チュルリョーニスの死により、実現に至ることはかなわなかった。

(中央)《おとぎ話Ⅱ [三連画「おとぎ話」より]》1907年 テンペラ/紙
(右)《おとぎ話Ⅲ [三連画「おとぎ話」より]》1907年 テンペラ/紙
チュルリョーニスは幼い頃から、母からリトアニアに伝わるおとぎ話を聞きながら育った。本作では、綿毛をモティーフに物語は展開されていく。チュルリョーニスの作品を前にした農家に対し、そこにいた画家で考古学者のタダス・ダウギルダスが説明しようとしたところ、農家は「いらない——わたしにはちゃんとわかるよ」と答え、その解釈をよどみなく、子細に語ったという。その話を聞いたチュルリョーニスは感動し、涙を流した。
「ぼくは間違っていなかった。民衆の心にまっすぐ届く道を、自分の芸術が見つけたのだというのは、なんと幸せなことだろう。自分もまたその民衆から生まれたのだから」
作品を介して受け手と確かな交感が生まれることは、芸術家にとって無上の喜びだろう。こうした連作を前に、どのような物語が描かれているのか、想像を馳せながら鑑賞することをすすめたい。
芸術という祭壇で。内なる炎を燃やし、天空へ

象徴的な要素が強い本作は、静けさを有しながら、背景の水や気流の流れが動的な想像をかき立てる。優しく輝くオレンジの背景に、黄土色を基調に描かれた数々の図から、本作が太陽を主題としていることが読み取ることができる。また、画面内には実在しないものの、鑑賞者から見て塔の左側が光、右側が影に染められていることから、左前方から陽光が差し込んでいることがわかる。背景に広がるのは広大な波である。この塔はどこに立っているのだろうか。水上か。一見して砂のようにも見えるこの波からは、砂漠も想起される。画面内を漂い上空へ向かうこの気流は、生命の存在を示すのか。

本展の最後を飾るのは、チュルリョーニス作品の中で最大であり、日本初出展の《レックス(王)》だ。チュルリョーニスは1908年頃から、安定した暮らしのためにサンクトペテルブルグとリトアニアを行き来する生活を始める。所属する美術団体「芸術世界」のメンバーから、紙よりも丈夫な基盤を使うよう促され、《レックス(王)》はカンヴァスに描いている。

本作では、作家が自らの内的宇宙をより体系的に再現しようと、果敢に試みていることが窺える。その中心に王(レックス)が存在するのが興味深い。中心下部に地球と祭壇の火があり、水面に反射している。それらを覆うように、宮殿、王のような存在が二層となり描かれている。地球の周りには山がそびえ、空が広がり、雲とその上に重なる地層は融合し、二層目の空が現れる。そこでは彗星が飛び交い、上空では無数の天使たちが重なるようにして祈りを捧げている。そしてようやく、太陽、月の次元へ至る。
宇宙的存在と宮殿、王、自然という存在が破綻することなく調和し、一つの真理に迫ろうとしている。茶、金、紫を基調とした荘厳、神秘的な印象を有しつつ、どこか童話の世界のような優しさが漂うのは、チュルリョーニスが自然、そして音楽から培ってきた、温かな移ろいによるものなのだろう。
1911年、過労、精神的負荷が重なっていたチュルリョーニスは、風邪から肺炎が併発し、35歳でこの世を去った。画家としての制作期間は1903年から1909年の6年。早すぎる死が惜しまれるが、その間に残された作品群は、芸術家が至った創造の哲学を存分に伝えている。
チュルリョーニスの色、フォルム、モティーフの象徴的表現に、日本との親和性を見出す人もいるだろう。自然の色から生み出された素朴な色。また、自然崇拝を根源とする八百万の神への信仰など、リトアニアと日本の間に共通点は多い。
36年ぶりとなるこの度の回顧展。リトアリアの風土、作家の情熱を感じながら、自然、音、信仰、宇宙——チュルリョーニスが繰り返し描き続けた主題について思い馳せてはいかがだろう。
作品は全て、ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス
国立M. K. チュルリョーニス美術館(カウナス)所蔵
M. K. Čiurlionis National Museum of Art, Kaunas, Lithuania.
展覧会情報
| 会期:2026年3月28日(土)〜6月14日(日) 開館時間:9:30~17:30(金・土曜日は~20:00)※入館は閉館の30分前まで 会場:国立西洋美術館 企画展示室B2F 休館日:月曜日、5月7日(木)(ただし、5月4日[月・祝]は開館) 展覧会特設サイト: https://2026ciurlionis.nmwa.go.jp/ |