白い砂のように崩れ落ちそうな皮膚、遠く静かな眼差し。高貴なドレスに身を包み、ヒールを履き、老年まで横浜の街に立ち続けた娼婦。その女性は「ハマのメリーさん」と呼ばれ、横浜の風景の一部になっていたという。
2020年10月、『ヨコハマメリー』(中村高寛監督、2007年公開)が15周年記念で上映されており、劇場へ観賞に向かった。映画はメリーさんに近しい人の語りを中心に展開され、彼女の私生活や戦後の横浜の変遷にもスポットが当てられる。人々の語りと数少ないメリーさんの映像から浮き上がる彼女の生きざま、横浜を舞台に垣間見られる人情劇は見応えがあり、失われた風景に思いはせる時間となった。また、多くの観客の視線をとらえて離さないであろう終盤の展開には胸が震えた。
映画『ヨコハマメリー』は「人間の深みと温かさが、心をゆるがす感動の物語。」と紹介されている。本作を観て、胸を熱くする人は多いと思う。私自身も高揚感のような、人生を前進させる力が湧き上がるのを感じた。しかし同時に、モヤモヤと腑に落ちない感覚が消化不良のままくすぶっていることにも気づいた。そうして、次第に自身の中で立ち現れてきた感慨と向き合い、きちんと言葉にすべきでないか、と考えるようになった。
ここでは本作をきっかけに生まれた試論を記したい。
肉体の喪失に慣れてしまった時代
横浜の街で異彩を放ち続けた、類稀な存在
メリーさんの姿は存在そのもの。
ただ在るだけで、自身の生きざまを表現している。彼女は並外れたオーラを放ち、群衆の中でも侵しがたい気品を放っていたという。「皇后陛下」と呼ばれていたことも、彼女の気高さを示す例だろう。メリーさんの存在感は、何によって生まれていたのか。その諸要素を探ってみたい。
1つに、馴れ合わないこと。孤独と呼べるかもしれないが、その陶酔的な響きは不似合いだ。意識的でない、気取りでもない、悠々自適な孤独を生きていた。
2つ目に、沈黙。彼女はいつも言葉少なだった。時折言葉を放っても、妖精のように高い声で「はい」「いいえ」と短いセンテンスを口にするだけ。俗っ気がなく、口を閉ざすことで聖性を保ち続けていた。
3つ目に、立つという行為。彼女は売春婦として、料亭所や雑居ビルの前に立ち、客引きをしていた。スポットライトを受けるように、灯の下で長時間立ち続けていたという。
最後に、美。メリーさんの姿を見て、私はただ美しいと思った。美意識の高さ然り、何より持って生まれた魂の気高さが、存在に表れていた。
こうしたさまざまが、メリーさんの存在を生み出していたことを想像する。ここでは、3つ目の「立つ」行為に着目してみたい。

メリーさんの立ち姿には無理がない。力みがなく、直線的な出来事をするりとかわす、しなやかさがある。あるがままの命を受け止め、無心に体現するような、揺るぎないものを感じる。年老いて背中が曲がっても、崩れを受け入れ、魂はより高次の輝きを放ち、絵画的な様相を呈していた。
本作で、舞踏家・大野慶人*さんのお話を聞けるのは感慨深い。メリーさんの写真を初めて見た時、どこか、舞踏の世界に通ずる空気を感じていた。それは、白塗りという表面的なものではない。「本物である」こと。
*大野慶人(1938〜2020) 舞踏家。父は、日本の舞踏の礎を築いた大野一雄。1959年土方巽の「禁色」で少年役を演じる。メリーさんは勤務先のシルクセンターにあるドラッグストアの常連客だった。
特筆すべきは、大野慶人さんが横浜の港でメリーさんに遭遇したシーンだろう。間もなく船が出航しようとする頃、メリーさんが異国の男性と手をつなぎ港に駆けてくる。そして2人は抱き合い、キスを交わす。
眼前に浮かぶ光景のまばゆさに、ため息がこぼれた。その場に大野慶人さんが居合わせたことも必然である気がした。
「立つ」行為により育まれた、内なる幹

舞踏をする人は、まず「立つ」ことから学ぶ。花を手にし、自分の中に芯を生み出していく。芯が生まれるまで7年もの年月がかかる人もいるという。
繰り返される言葉は、「花になる」。大野慶人さんのお父様で世界的舞踏家、大野一雄さんの言葉を、次に記させていただく。
花が美しいから、ああきれいだな、っと踊ることはないわけですよ。あなたが見ているその目が、魂が、見てるその姿がさ、いままで稽古したこと全部のエネルギーが燃焼しているならば、花ができるわけですよ。できるでしょう。延々と極限まで、永久にずぅっと花を咲かせる。核心に入ってきましたからね。体がねじれても、目からなにから全部捧げてね、花を見てる。花を見てる。それそのものが花を成立させるもととなるように。
『大野一雄 稽古の言葉』大野 一雄 フィルムアート社
長年横浜の街に立ち続けたメリーさんの体には、並大抵の嵐になぎ倒されることのない、しなやかな幹が育っていたのではないか。
彼女はいつも人を寄せ付けず、孤樹のように立ち続けていた。孤樹はやがて蕾を付け、誇りかで芳しい花を咲かせた。大野慶人さんは、メリーさんを「きんきらさん」と呼んだそうだ。香水瓶を慈しむように見つめるメリーさんの姿に着想を得て、自身の舞台の役作り(『ハムレット』のオフィーリア)にいかしたという。孤樹に咲いた花は、街ゆく人に人知れず霊感を与え、「きんきら」に光り輝いていた。
メリーさんの姿を見つめ、現代人の肉体意識の喪失を思った。筋力を失い、かろうじて地を蹴る体。電車で席を逃すと、重心がぐらついた体は吊り革や扉に預けられる。体はそこにあるが、意識はオンラインに置かれている。
実体を伴わない時間は、肉体意識を薄れさせていく。私はここに存在するのに、ここにいる私は意味を成さない。目の前の人は、私には無縁。ここにある自身の体でさえ、意識から断絶されている。体は鈍感になり、噴き出す血を目にし初めて、自身に痛覚があると知る。
人は知らず知らずのうち、こうした空洞のような体を抱えているのではないか。傍観者という、重症な病。慣らされた無意識ほど変えがたいものはない。傍観者を脱却するには、激烈な痛みと自己破壊、もしくは屈強な想像力が必要になる。つまり当事者として、生まれ変わるということ。では、当事者とは?
「ここ」にいる当事者として。表現者は傍観者を克服できるか
「戦場で飛び交う全ての弾に身を晒す」

数年前、電車に乗っていると、扉が閉まる寸前に学生帽を被った一人の少年が駆け出し、降車しようとした。しかし間に合わず、少年は閉じようとする扉の間に指をす、と差し入れた。瞬間、一人の男性が駆けつけ、扉をこじ開けようとした。幸い、センサーが働いたのか扉は再び開き、少年は男性を振り返ることなくホームへ駆け下りていった。一瞬の出来事だったが、身に迫る痛覚と、車内に走った緊張感を今もよく覚えている。「当事者」について考える時、私はいつもこの男性を思い出す。
物事を傍観することに慣れてしまった現代、当事者と呼べる人は減りつつあると感じる。背景に情報社会の進展、PC、スマホなどの通信機の普及があるのは言うまでもないだろう。現代人は、安全圏から物事を見つめることに慣れすぎている。場所を問わず、交流できる、働ける昨今、「ここ」も画面の向こう側も同じ重さになりつつある。どころか、後者が重視されることさえ少なくない。その分、「ここ」にいる人との距離はずいぶん遠くなった。さらに昨今では流行病の影響が重なり、「拒否されたら」「迷惑に思われたら」と目の前にいる人を助けることさえ神経を払わなければならない。
当事者減少の背景としてもう一つ付け加えると、代理店の拡大が挙げられる。創造的な業務を外部へ委託する企業は多く、今では自社内で完結する企業の方が珍しいかもしれない。私は15年以上一般企業に勤めたが、事業会社の代理店活用には目を見張るものがあった。戦略、企画、広告、研修プログラム、デザイン、ライティング……若手社員の頃、社内のアウトソーシングの多さに驚き、素朴に「なぜ自分で考えないのだろう」と疑問を抱いたことを覚えている。
長らく創造性が切り売りされる時代が続いている。これは結果として、個々の創造性を眠らせ、思考を鈍らせてはいないか。
「生産効率」。創造性からもっとも遠い次元の言葉で、できれば使いたくないが、ビジネスではそうもいかないだろう。当然、各分野でのプロはいてしかるべきで、自社内で核となる方針を固めた上でアウトソーシングする体勢が現実的なのは頷ける。しかし、中には外部に文字どおり「丸投げ」する企業も存在する。そうなると、仕事を自分の言葉で語れなくなる事象が起こっていき、また一人、当事者が消えていく。
こうした現代において、当事者を生むことは芸術が果たす役割の一つでないかと思う。なぜなら、表現者は作品により人々の想像力に働きかけ、他者の生きる世界をまるで自分のことのように描くことができるからだ。実際に、当事者であることを意識する表現者は少なくない。以下は、アーティストグループDumb Typeのリーダー、古橋悌二の言葉だ。彼がHIVウイルスに侵されていることを友人に告白する手紙の中の一節にこのような記述がある。
私が今までこだわり続けてきたアートとは有効な表現手段なのだろうか。もし有効でないとすれば何が有効なのだろうか。そういう疑問があせりとなってアート界に身を置く自分を対象化させる。そこに留まり、そこでのみ語られる自分の、そして作品の行き場のなさ。
私は常に当事者でありたかった。情報で知り、解析によってその事象を仮体験するのではなく常にその場に居て、実体験すること。自分を好奇心の向こう側にむりやり越えさせる唯一の手段。そこで勝ち得た情報だけが、自分の細胞内に永遠にとどまることが出来るのだ。アーティストは当事者たりえるであろうか。世界に対する単なるコメンテーターにすぎないのではなかろうか。アーティストは安全圏にのみ居住する気難しい皮肉屋のおじさん、あるいは職人さんといったイメージのそれ以上にも以下にもなれないでいる不幸な人種なのかもしれないとも思う。TVから流れるニュースや人から聞く噂話は単に我々を撹乱させる。
そう、私はすべての戦場にいてそこに飛び交うすべての弾にあたりたかったのだ。
『メモランダム』古橋悌二 リトル・モア
戦場にいて飛び交うすべての弾にあたること。これはすなわち、表現者が描こうとする世界に自ら身を投じ、激烈な痛みや震え、匂い、恐怖、混乱、死を追体験することと言える。その境地に立つことによって、初めて観客の体の表層から深部へ振動を届け、内臓を疼かせるような衝動をもたらすことができるのではないか。そして、その時観客は初めて、当事者として自分以外の存在に意識を重ねられるのではないか。むろん、それは自身を捨てるということでなく、屈強な想像力の成せる当事者の誕生を意味する。
垢の溜まった爪、折れ曲がった背中。老娼婦の実体

このような当事者の存在を論点にした時、私は『ヨコハマメリー』の世界に脆弱さを感じざるをえなかった。本作の中で、メリーさんが自らの生い立ちや心情を語る場面はほぼない。撮影期間はメリーさんが横浜を去った後で困難だったのかもしれないが、メリーさんのビジュアルは絵画のような静止画が主で、生きざまを映し出すような生々しい演出は意識的に避けられているように思われた。どちらかというと、あくまで観客がメリーさんに抱く好奇心に応える形で展開された印象がある。わかりやすいテロップ表示に、リズミカルな映像。メリーさんという謎めいた存在を堪能し、その人生の片鱗を覗きつつ最期を見届ける、ノスタルジックなヒューマンドラマ。言い換えれば、彼女の痛みや震え、匂い、恐怖、混乱、死を追体験するにはほど遠い、どこかおとぎ話的ともいえるドキュメンタリー。「人間の深みと温かさが、心をゆるがす感動の物語。」は、まさにそれを言い当てている。
映画鑑賞後、心にモヤが残る中、根拠のない違和感に苛まれているだけかもしれないと思い直し、『白い孤影ヨコハマメリー』(檀原照和 筑摩書房 2018)を読み、よりメリーさんの実態に近づこうと試みた。本書を読むにつれて、違和感は確信的なものに変わっていった。映画では語られなかったメリーさんについて、注視すべき点を本書から引用したい。以下は、メリーさんについて知る人の証言だ。
「メリーさんの手は綺麗な肌をしていました。手には白粉をつけた感じはなく、素の状態でした。シワはありましたが、手そのものは柔らかかったと記憶しています。それにくらべて少しのびた爪は、真っ黒で垢のたまったような爪でした。」
(メリーさんを知る四十代前半(当時)の男性)
「背中が曲がっていて両足は大きく開いて歩いていました。きっとそうしないと体を支えられなかったんでしょう。服も靴も汚れていたし、生臭かった。一部の人がいうような香水の匂いではありませんでした。メリーさんの写真集を出している方がいますが、大分メリーさんを美化して撮っていると思いました。」
(フリーライターの末藤浩一郎さん)
「あの人は無許可で長期間寝ていたんですよ。大体二年くらいだと思います。許可を得ていた、という人もいますがウソです。私は管理人を通じて何度も追い出そうとしたんですが、頑固に居座っていたんです。
彼女をお芝居にした人がいて、『天使のような目が……』『気品があって……』というけれど、なにを言ってるんだか!あの人は売春婦ですよ。売春婦をヒロインみたいに扱って!」
(メリーさんが立っていた雑居ビルの関係者)
「耳が聞こえにくくなり、白内障でほとんど両目が見えんような状態でした。」(メリーさんの実弟)
こうした証言を読むにつけ、思いはせざるをえないのは、メリーさんが抱えていたであろう生きづらさだ。映画では、ホームレスとして暮らしていたことは周知の事実として語られる。また、他の客のクレームによってメリーさんが行きつけの美容院に通えなくなったことも淡々と明かされた。こうした事実を知るたび、過ぎたこととして流すことのできない、ささくれのような痛みが私の中に残った。
メリーさんは気位が高く、人からの施しをほとんど受けなかった。けれど、私は想像する。メリーさんはできることなら、自身の生活を変えることを、そのための出会いを望んでいたのではないか。映画の中で、横浜の富裕層が住む山手と麓に広がる浮浪者街を見つめ、「天国と地獄ね……」と呟くメリーさん。この逸話を、ただ詩的な情景として味わうのは鈍感の極みという心地がする。書籍には、永登元次郎*さんの前で「ゆっくりできるお部屋が欲しいわ」と言ったという記載もあり、彼女が生活に困窮していたことは明白だった。そんな中、彼女が人と距離を取り、決して自ら助けを乞わなかった理由は、彼女の誇り高さだけでなく、売春婦という生業も大きく影響していたのではないか。メリーさんはある時、元次郎さんの前で「私はパンパンだから」とこぼしたといい、その生業を卑下していたことが伺える。メリーさんが他の職業に付いていたら、人との距離の取り方も違っていたのかもしれない。
*永登元次郎(1938〜2004) シャンソン歌手。メリーさんがリサイタルを観にきたことから交友が始まる。1921年生まれのメリーさんとは歳の離れた親友だった。
『白い孤影ヨコハマメリー』を読んだことは、メリーさんの実体をより克明に浮かび上がらせる点で、とても有意義だった。ただ、本書の記述も著者の純真な好奇心を満たす姿勢が目立ち、当事者視点が抜け落ちている感覚が拭い去れなかった。特に私が見過ごせなかったのは、以下の部分だ。著者は、自重していたメリーさんの実家への取材を決意するにあたり、次のように綴る。
私の心は動いた。じつは元次郎さんからメリーさんの実家の場所は聞いてはいたのだ。いままでは素人が手慰みに書くために、わざわざ引退した娼婦を訪ねに郷里まで行くということへの後ろめたさがあった。しかし二人が亡くなったことで自重する理由がなくなった。
サラッとこのような内容を記す感覚に、私は驚きを隠せなかった。さらに、こう続けられる。
もし老人ホームで生身のメリーさんに会ったら、イメージが完全に崩れ去ってしまうかもしれない。そう思うと怖かったのだ。
私は横浜幻想の一端に触れたいだけだ。私の関心は生身のメリーさん自身よりも、むしろメリーさんの周りで起きているさまざまな現象の方に向いている。私にとってメリーさんは生身の人間というよりも、捉えどころのない抽象的な存在なのだった。
ご自身の好奇心に忠実すぎて、清々しさを覚えるほど。実際、本書に記される膨大な調査は凄まじいもので、そこにかけられた時間と労力は尋常ではないと推察する。しかしながら、私の視点からは完全にずれていた。
メリーさんは与えるばかり。無償の着想、霊感を。舞台化、写真集の発売、ドキュメンタリー公開、書籍化……生前のことは知らないが、今回取り上げた映画も書籍も、メリーさんの死後に発表され、そこで得られた金銭は、いくらも彼女に届けられない。メリーさんなしには存在しえない作品でありながら、『ヨコハマメリー』のキャストに、メリーさんの名前がない点にも違和感が残った。本作における唯一の当事者は、元次郎さんだろう。元次郎さんは拒むメリーさんに無理矢理お札を押し付け、金銭的支援をしていた。2人の関係が描かれたことが、本作を強靭にし、メリーさんの実態をかろうじて立ち上がらせている。
人知れず朽ちた無償の美

人が当事者になりきれない理由に、美を守ろうとする姿勢が影響している点も言及しておきたい。人は美に惹かれる。派手で絢爛なものを好んだり、高貴なものに憧れたり、素朴でささやかなものを愛でたり、嗜好は多様だが、おそらく各々生まれながらに本能的な美的センスを備えている。
メリーさんに惹かれる人は、おそらくミステリアスな美に魅了される人が多いと思われる。ミステリアスな存在はしばしば孤高と形容され、大抵の場合、周囲から距離を置かれる。先に挙げたように、メリーさんには侵しがたい気品があった。つまり、メリーさんを愛する人が、愛するゆえに取る距離が、逆説的にメリーさんの困窮を看過した可能性がある。当事者を放棄した鑑賞は、生命の破滅さえ芸術品と崇めてしまう。
「花は優しい。見る人を慰めて何も見返りを求めない」(美輪明宏)
メリーさんは無償の美を与えるばかり。彼女は対価を求めず、その慎ましさがさらに美を輝かせる。けれど命を持つ美は傷つくし、老いるし、病気にもなる。
孤樹に咲いた花は、人知れず散り、地に横たわり、朽ちていく。メリーさんの存在はどこか、独自の美学を貫き続けた森茉莉(作家)や、山口小夜子(モデル)の生きざまと重なった。森茉莉は心不全で、山口小夜子は急性肺炎で亡くなり、ともに死後数日経ってから自宅で発見された。孤独死とされている。
美に近づくことは痛みを伴う。一方的に築き上げたイメージの瓦解に傷つくかもしれない。しかし、イメージを守るのか、目の前で生きる生を守るのか、そう問われた時、私は命の震えに近寄り、混乱し続ける人間でありたい。
表現の残酷性にひれ伏し、勇敢に無様に動き続ける
中村監督は『ヨコハマメリー』のWebサイトで、「語り継ぐこと」という文章を公開し、以下のように述べている
語ること、語り継ぐことに意味がある。語り継いでいくことによって、余計なものが削ぎ落とされ、本物だけが残る。メリーさんの伝説と同じかもしれない」。ある人が言った、このフレーズが忘れられない。そしてメリーさんの本物の部分、核心を追っていけば、私が育った横浜という町のメンタリティを描くことができるのではないか、作品になるのではないかと思い、勢いだけで作り始めた。 私自身は、メリーさんの映画を撮った感覚はあまりない。
「メリーさん」を通した「ヨコハマ」の一時代と、そこに生きた人たちを、ただ一つの現象として撮っただけだと思っている。しかしその現象のなかにこそ、誰もがもつ、普遍的な人の営み、感情、人生が如実にあらわれるのではないだろうか。それはどんな社会的なメッセージよりも私が描きたかったことである。
この言葉から、監督が伝承者として本作に向かい合われたことがよく窺える。その意味で、本作は創作意図と何の矛盾もない。ただ、私の感性は「普遍的な人の営み」に傾いてはいかない。本作を観て湧いた、身を打たれるような問いに向き合い続けるだけだ。
繰り返しの持論になるが、表現者は当事者たることに果敢に挑み続けるべきだ。なぜか。それは「表現は救いであるべきか」という問いに相通じていく。
表現により生をつないできた私は、この問いに首肯する。いずれの命も、その魂は儚く死に絶えることを望んではいないはずだ。命を咲かせるためには、ただ行動が求められる。特に、映像や写真のように生身の人間を創造に取り入れる時、表現者はその残酷性に対し、誇示や居直りとは異なる覚悟を持ち、勇敢に行動すべきだ。無邪気な好奇心を満たすだけでなく、個々が強く、強く、生き抜くための表現を届けるために。
私は、少年が電車から駆け下りようとする時、席を立つことができなかった。自戒に始まったこの文章は、声明として胸に刻まれていく。私は身を差し出す。醜く、汚らしく、不恰好な姿で、この身を差し出す。そしていつか、あなたに近づく。あなたの息に、匂いに近づく。また、崩れ落ちる。地を這う。跪く。あなたの命が、しなやかに咲き誇る未来のために。
出典:
『大野一雄 稽古の言葉』大野 一雄 フィルムアート社 1997年
『メモランダム』古橋悌二 リトル・モア 2000年
『白い孤影 ヨコハマメリー』檀原 照和 筑摩書房 2018年