まばゆい色。伸びやかで力強い線。利根山光人(1921〜1994)という画家をご存じだろうか。光の人という名の通り、色彩あふれる情熱的な作品を数多く発表し、「太陽の画家」と呼ばれた。
約30年ぶりとなる回顧展「自然と魂 利根山光人の旅 異文化にみた畏敬と創造」が、11月9日(日)まで世田谷美術館で開催されている。本展では、5年間にわたるアトリエの調査を経て、油彩約50点、版画約60点、スケッチ約100点、さらに、マヤ、アステカ遺跡の拓本やメキシコの蒐集品、記録写真など、総数250点を超える作品、資料が展示されている。メキシコ、ヨーロッパ、インド、日本各地を旅し、生命力あふれる作品を描き続けた作家の軌跡をたどる。
メキシコで蒐集した民芸品がお出迎え
本展で初めに出迎えてくれる、仮面や木彫、陶製の置物などのオブジェの数々。これらは全てメキシコで蒐集され、利根山のアトリエに遺されていたものだ。アルテ・ポプラル(大衆芸術)と呼ばれ、色鮮やかで陽気な神々や動物たちが、メキシコの風土を届けてくれる。
太陽を思わせるなんとも存在感あるオブジェは、興味深いことに、角度を変えて鑑賞すると表情が変わって見える。また、裏面にも着目したい。色使いや表情が全く異なり、遠いメキシコの太古から続く死生観を伝えてくれる。
オブジェの背景には、拓本でメキシコの壁画をとらえた作品が展示されている。1959年、古代マヤ文化の息吹が色濃く残るボナンパクや、パレンケ遺跡、ユカタン半島に向かった利根山は、その地で目にした石彫のレリーフに衝撃を受けた。パレンケ遺跡を訪れた時のことを、著書で次のように記している。
密封されたままだった巨大な蓋石の力強いデザインもさることながら、七世紀中頃に刻まれたノミの跡の今に彫ったようなナマナマしさに感動した。
(『メヒコ・マヒコ』利根山光人 筑摩書房 1989年)
利根山はその感動を日本に持ち帰ろうと、刻まれた絵や文字に紙を当てて凹凸を写し取る拓本技術を用いることにする。1963年1月、特別に許可を得て、友人の画家ルイス・ニシザワと共に30カ所以上の遺跡から百数十点の拓本を採取した。
いずれも、A.D600年、AD900年という太古の時代に誕生したものばかり。その形跡が、人の手により日本へ運ばれてきたことに感銘を受ける。
佐久間ダムの連作。荒ぶる自然に立ち向かう人間の姿を活写
利根山光人は1921年に茨城県結城市で生まれた。1939年に早稲田大学に進学し、在学中に川端画学校で絵を学ぶ。卒業後は教師として働く傍ら作品制作を続け、次第に画家の道に進んでいく。1946年頃、美術評論家の久保貞次郎氏にすすめられてリトグラフの制作を開始し、1951年には早稲田大学から石版印刷機を譲り受けている。
初期は、風景画や、ストラヴィンスキーの音楽に着想を得た抽象画を制作した。早い段階から写実を手放し、対象の構造や躍動をとらえようとしているところに、利根山の作家性を見る。
その後、連作で手がけた題材は、静岡県佐久間村にある佐久間ダムだった。戦後、一級河川・天竜川から日本最大規模の水力発電を確保するため、1953年に着工、1956年に完成したダムだ。利根山は佐久間ダム建設の記録映画を観て衝撃を受け、現地に向かい、数十日寝泊まりしながら彼らの労働と暮らしを追った。
佐久間ダムの建設には、国内、中国、朝鮮半島から350万人以上が動員された。過酷な労働環境により90人以上の死者が出ている。手付かずの自然を切り拓き、天竜川の激流に立ち向かう人間の姿に、自然、人間の原生を見出したのだろうか。のちにメキシコ、世界各地の古代文明を訪ね歩くことになる作家の初期の躍動に触れることができる。
美術評論家・瀧口修造のすすめにより、佐久間ダムの連作は1950年代の読売アンデパンダン展に出品された。同時期に個展も開催し、作家活動を本格化させていく。
メキシコの大地に誘われて。生命の根源に触れる旅へ
1955年に東京国立博物館で開催されたメキシコ美術展を訪れた利根山は、古代から現代を超越するような力強い表現に圧倒された。1959年、メキシコの大地に呼ばれるように初めて現地を訪れ、以来、長期に渡り行き来することとなる。
メキシコ最大の祭り「死者の日」で、死者の魂を迎える精霊の夜をとらえたスケッチや、紀元前2〜6世紀頃に栄えた宗教都市国家テオティワカンなど、各地を足取り軽やかに旅し、その土地の人々や、信仰のありように迫っている。画面から立ち上ってくるのは、生と死の一体感だ。死者の日、メキシコの人々は骸骨を街中に飾り、骸骨のメイクをする。そこで、死に陰鬱さはない。死は生と同様に活力にあふれ、神聖なものだ。
メキシコでは、死はアミーゴのように親しく、死こそ大いなる生なのだ。メヒコはマヒコ。
(『メヒコ・マヒコ』利根山光人 筑摩書房 1989年)
(右)《雨乞い》1987年 世田谷美術館
メキシコに半年ほど滞在後、利根山は1959年の年末から帰国の途につくが、その後も旅は続いた。敬愛するミロやピカソを訪ね、ラスコー洞窟(フランス)、アルタミラ洞窟(スペイン)を見学し、イタリア、ギリシャ、スイス、インド各地を訪れる大旅行となった。その軽やかな足取りは、作家の止まぬ好奇心を伝えるようだ。メキシコの古代文明にどっぷり浸かったその足で各地を訪れ、それぞれの風土がより際立ち、生々しく迫ってきたことだろう。
時代が下がると文明は絢爛豪華にはなるけれど、本当の生命力みたいなものはむしろ古代にあるということを目の当たりにした旅だったわけです。
(「作家訪問 利根山光人」『絵具箱からの手紙』ホルベイン興業 1988年)
長い旅の締めくくりはインドだった。スイス・チューリッヒで観たインド展で石彫の女神を目にして感激し、「旅の終わりはインド」に決めたという。
利根山はインド北部にあるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院に訪れ、そこにおびただしく並ぶミトゥナ像に拝した。ミトゥナ像は男女の性愛を表現しており、豊穣祈願の象徴とされている。愛を全身で体現する男女の肉感的な肢体、時を越えて迫る官能、躍動に圧倒される。
日本各地の装飾古墳、祭りを訪ねて
利根山はメキシコとつながりの深い作家として知られるが、日本の民族芸能にも関心を寄せ、各地を訪れた。印象深いのは、九州や福島で発見されている日本の装飾古墳だ。熊本県の井寺古墳、千金甲(せごんこう)古墳、清戸迫横穴(きよとさくおうけつ)穴、チブサン古墳などを訪れ、そこに残された壁画を活写している。いずれも赤が生々しく、円や渦巻き、幾何学、動物など、呪術を思わせるモティーフが取り入れられている。人々はどのように祈り、儀式を行い、死者を見送ったのか。はるか太古の命のありように思い馳せる。
全国の祭りにも視線を向け、土着の魅力を追いかけた。青森のねぶた祭り、岩手の鹿踊、愛知の花祭に登場する榊鬼、和歌山の火祭など各地を訪れ写真を撮り、スケッチや絵画を残している。
多数展示されているスケッチも、ゆっくり鑑賞したい。旅する画家が各地で残してきた数々の絵は、当時の熱気を届けてくれる。
日本の祭りのスケッチ
メキシコの風景
装飾古墳の壁画をとらえたスケッチメキシコ、民族学、祭り、というキーワードから、岡本太郎との共通点を見出す人もいるだろう。岡本太郎は代表作《太陽の塔》《明日の神話》の制作に至るまで、パリでマルセル・モースから学んだ民族学を下敷きに、世界や日本の民俗芸能を探求し、中でもメキシコには強い関心を傾けた。当初、メキシコのホテルに設置を予定していた巨大壁画《明日の神話》には、メキシコの死生観が色濃く現れている。
実際、二人には交流があった。利根山のアトリエは東京・等々力のそばにあり、岡本太郎は当時、大井町線で隣駅の上野毛に住んでいた。また、岡本太郎が代表を務めた「国際アートクラブ」に利根山は1950年代〜1960年代まで参加し、1963年には利根山の誘いで岡本太郎がメキシコを訪問したという。
本展では、利根山の手元にあった岡本太郎のリトグラフを観ることができる。時代が「人類の進歩と調和」に向かい突き進んでいく中、反動するように生命の根源を探求した作家が近くに存在し、響き合っていたことは感慨深い。
ほかにも、瀧口修造から利根山に寄せられた手紙も展示されている。詩的な言葉から、期待と賛辞が垣間見える。
悲哀と矛盾を抱えた社会にドン・キホーテが立ち向かう
太陽の画家といわれた利根山の作品は、陰鬱とした世界からは遠く離れているかのように見える。けれど、ただ陽気なだけではない。太陽があれほど燦々と燃えるのは、陰の存在があるからだ。「生と死がアミーゴ」と記したように、利根山は、生と同じくらい死を深く感受していた。本展では、利根山のそんな感性が垣間見える作品も展示されている。
こちらは「黒い雨」と題された銅版だ。広島平和記念資料館に展示された被爆で焼けただれた学生服を見て衝撃を受け、制作された。色にあふれた作品とは対照的に、静かで寡黙な表現に引き込まれる。銅版画技術により摺られた作品の精巧さにも着目したい。
最後の展示室には、晩年、繰り返し描かれたドン・キホーテの作品群が展示されている。利根山は、夢想の世界を旅するドン・キホーテを想像力の象徴としてとらえ、社会の困難に立ち向かう存在として命を吹き込もうとした。
清々しいほど晴れた青空に浮かぶ、どこか浮世離れした雲。太陽の光を受けたように輝き、大地も呼応している。微かに見えるドン・キホーテとサンチョパンサの影が、やがて訪れる希望のようにも感じられる。
石版画の《ドン・キホーテ》が利根山光人の絶筆となった。制作を支えたのは、版画摺師の尾﨑正志(尾﨑正志版画工房代表)氏だ。利根山の石版画の筆使いの生々しさ、表情に衝撃を受け、石版画を学び始めたという。
利根山先生が私の版画工房に泊り込み、2日間ほどで石版石に描き上げたものを、私が版と対話しながら製版していく工程で、「ドン・キホーテは、利根山先生そのものがまさにここにいるのだ」と感じたのを覚えています。
(本展図録より)
《ドン・キホーテ(絶筆)》の石版石 1994年原始の魂へ。突き抜ける生命のエネルギーを感受
利根山光人の創造の軌跡をたどると、自らの内なる衝動に忠実に世界へ足を運び、表現を続けてきたことが見て取れる。佐久間ダム、メキシコ、ヨーロッパ、インド、日本各地へ——思い立ったら現地へ向かい、その風土に触れ、スケッチし、作品へと昇華させる。胸の高鳴りを信じて、好奇心のままに軽やかに動き続けることが、創造の道を切り拓いていくのだろう。利根山が描き続けた世界に共通するのが、生命の根幹となるエネルギーだ。それは、技術革新や効率化一辺倒の文明に揺さぶりをかけ、人を魂の原始に立ち返らせる力を宿している。
利根山光人の作品が放つ、突き抜けるような光を全身に受け、内奥にどのような変化が起こるのか、ぜひ会場で感じ取ってほしい。
めくるめく太陽の下
インディオの描く
砂絵のように
呪術のカケラはまだ消えていない。
文明と未開と私はゆれうごく
時計の振子のように
そのあいだに
秘されたものをもとめて
さまよっている
(『メヒコ・マヒコ』利根山光人 筑摩書房 1989年)
参考文献:
「自然と魂 利根山光人の旅 異文化にみた畏敬と創造」図録
『メヒコ・マヒコ』利根山光人 筑摩書房 1989年

展覧会情報
| 自然と魂 利根山光人の旅 異文化にみた畏敬と創造 会期:2025年9月13日(土)~11月9日(日) 開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで) 休館日:毎週月曜日 ※11月3日(月・祝)は開館。11月4日(火)は休館 会場:世田谷美術館 1階展示室 Webサイト: https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00226 |