音楽を聴いていると、風景が浮かぶ。そんな経験がある人は多いのでは?
音楽が放つ世界観、あるいはリスナーが楽曲を聴いた当時に身を置いていた環境、周囲との関係性、さまざまな情景がないまぜとなり押し寄せてくる。音楽は時に、そんな体験をさせてくれる。ここでは「音楽のオートマティスム」と題し、1曲に光を当て、その音楽がどのような情景を連れてくるのか記したい。
(楡 美砂)
日本のエレクトロシーンを築いた先駆者の一人 Susumu Yokota /ススム・ヨコタ(横田進 1960〜2015)。電子音楽家、DJ、プロデューサーで、テクノ、ハウス、アンビエントなど数多くの楽曲を残した。また、写真、デザインなど、多方面でその才能を発揮した。
1992年にドイツのレーベルからデビュー。翌年、ドイツのテクノシーンを代表するメジャーレーベル〈Harthouse Records〉から発表した『Frankfurt Tokyo Connection』が国内外で話題となり、1994年にはドイツで開催される世界最大規模のレイヴイベント「ラヴパレード」に日本人として初めて招待された。代表作に 『Acid Mt. Fuji』(1994年)『Sakura』(1999年)『Symbol』(2004年) 『Dreamer』(2012年)などがある。デビュー時より、海外からの評価は高く、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『BABEL』(2006年)にも楽曲を提供している。
長期にわたる闘病生活の末、2015年に54歳でこの世を去る。現在も国内外のファンから高い支持を集め、未発表音源のリリースや、作品のリイシューが続いている。2019年にはロンドンでメモリアル・イベントが開かれるなど、その音楽をリスペクトするリスナーは尽きない。
「Long Long Silk Bridge」よろめく足は、金色の波をゆく
今回は、Susumu Yokota自身のレーベル〈Skintone〉から2004年にリリースされた後期代表作『Symbol』より、1曲目の「Long Long Silk Bridge」を取り上げたい。「Symbol(象徴)」というタイトルにあるように、本作にはヨコタの象徴主義的なスタイルが現れている。
象徴主義(サンボリスム)は、観念、神話や霊的な目に見えない世界を、象徴を通じて描こうとする芸術運動で、19世紀末にフランスやベルギー、イギリス、ロシアなどで起こった。対象物をあるがままに描こうとする写実主義(リアリズム)や自然主義の反動によるものとされている。文学ではシャルル・ボードレール、ポール・ヴェルレーヌ、アルチュール・ランボー、ステファーヌ・マラルメ、美術ではギュスターヴ・モロー、オディロン・ルドン、ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌなどが挙げられる。音楽では、リヒャルト・ワーグナーが象徴主義の作家たちに影響を与え、クロード・ドビュッシー、モーリス・ラヴェルなどがその流れを汲むと見られている。いずれの作家も、神話や、詩、神秘的、観念的な世界を、独自の視点で出現させ、描きだそうと試みた。
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『Symbol』では、クラシック音楽や、環境音楽のサンプリングが随所に用いられている。いくつもの芸術を横断しながら楽曲制作に至った音楽家の軌跡、その美学を堪能できる。全編を通じ、華麗で、瞑想的な輝きが漂う。
電子音楽は、ダンスミュージックとしてハイになることもできるし、リズムや反復音に導かれるまま無の領域、神秘的世界に没入していくこともできる。ヨコタは、きっとそのどちらであろうと、誰と群れるでなく、孤高の空間で世界に、自己に向き合っていたのだろう。その高潔な楽曲の数々は、邪を削ぎ落としてくれる。
ライナーノーツに書かれたヨコタの「楽しみながら作品を作ったことはない、ぶっ飛んで作るか、涙を流しながら作るかだ」という言葉は象徴的だ。そして、「『symbol』が涙を流しながら作った作品であることは、何度か彼を取材した人間として言わせてもらえれば、間違いない」と『ele-king』編集長・野田努氏は記している。
タイトルは「長い長い絹の橋」。
水面がキラキラ光るような音から始まる。始まりの曲にふさわしく、躍動し、広がりを見せていく。
せき立てるような、後ろ髪を引かれるような。やわらかい波の中をたゆたう。行き先はない。
絹を翻し、舞う。昇天する。
二度ほど、オートマティスムを試みた。短い方を下記に記す。
[Automatisme]
金色の波
先に見える異郷
弾むつま先
鼓動 よろめく声
指先がなぞりあげる
開かれた舞踏会
よそ見をしては失脚
一つも嘘がないまなざし
望遠鏡でのぞいていた異郷
手を取ってくれる
高い塔から 汚いドレス
ゆらゆら
波紋
