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(楡 美砂)

パリから帰国後、手にしたSebastien Tellier「Sexuality」

20代前半の頃、初めてフランスを訪れた。一人旅だった。フランスに導かれたのは、文学、映画の影響が強い。人間の深淵さ。フランス文学・映画がもたらす神秘と表裏一体の奇矯さ、混沌としたふるまいは、安堵をもたらした。
行きの飛行機で、ジャン・ジュネの『花のノートルダム』を読んだ。隣のおじさんに話しかけられ、言葉を交わした。ソルボンヌ大学へ留学していた人で、当時、ジャン・ジュネ、寺山修司を街で見たと語ってくれた。

「カフェでずいぶんエロチックな老人がいると思ったら、ジャン・ジュネだった」
「路上で音楽を鳴らす演奏家のリズムに合わせ、寺山は足踏みをしていた」

シャルル・ド・ゴール空港までの長時間の移動。話はさまざまな方向へ展開された。何かの流れで、彼は「狂気的な体験をしている」と口にした。饒舌な人だったが、それ以上は伏せた。彼は「パリの後、キエフへ友人のコンサートに行く」と話していた。

到着後、マドレーヌ寺院のそばにあるプチホテルに宿泊した。
3泊ほどしたのだろうか。エッフェル塔、モン・サン=ミシェル、ヴェルサイユ宮殿、ルーブル美術館、オランジュリー美術館、ピカソ美術館、サクレ・クール寺院、ノートルダム大聖堂、カフェ・ド・フルール。王道を押さえ、初めてのパリを満喫した。買い物も。デザインショップ、古着屋、書店。セーヌ岸辺の露店で、レイモン・ラディゲの史伝と目が合ったことは忘れがたい。いそいそと引き寄せられ、お連れし、今も書棚にいる。

『Raymond Radiguet et le Paris des Années folles』(レイモン・ラディゲと狂騒の時代のパリ)Le Livre de poche 2003年

パリは猥雑な街でもあった。モンマルトルを歩くために、何を思ったか、歓楽街が広がるピガール駅で降りた。おそらく、ムーラン・ルージュを見て、サクレ・クールに向かおうとしたのだろう。メトロを出た途端、現れるまがまがしい看板群におののく。私はその日、花柄のワンピースに青いカラータイツ、というあまり地味とは言えない格好をしていた。気を張りつめ、早足で歩き出す。

「Mademoiselle, Mademoiselle」

店頭に座るおばあさんが声をかけてくる。性的なワードが並ぶその通りを足早に抜け、サクレ・クールへ向かう坂道を上った。

サクレ・クール寺院

思い出されることは尽きない。年月が過ぎ、薄れたこともあるが、鮮明に残る瞬間がある。旅の後は、新たな視界が開かれる。帰国後、鳴り響いたのはこの言葉だ。

「Don’t be a child」

そんな頃、私はセバスチャン・テリエに出会った。フランスの空気をもう少し感じていたかったのだろう。帰国後、埼玉のHMV、ワールドミュージックのコーナーで、3枚目のオリジナルアルバム「Sexuality」を見つけたように思う。パリで幾度も目にしたマゼンタピンクの装い。女性のお尻の上に、ミニマムサイズの馬にまたがる小さな大男。「官能的エレクトロ」と銘打たれていた。
すいぶん前置きが長くなったが、今回はこのアルバムから取り上げたい。

人生を貫く「L’amour et la violence」。終わらない「Sexuality」の残響

セバスチャン・テリエ(sebastien tellier 1975〜)は2001年にデビュー。幼少期から音楽愛好家の父から手ほどきを受け、ハーモニーや不思議なコードを教わり作曲を始め、音楽家を志す。映画「ロスト・イン・トランスレーション」(ソフィア・コッポラ 2003年)での楽曲起用により世界的な注目を集める。
クラシック、ポップ、ロック、エレクトロニカ、ダンスミュージックと、ジャンル横断的な楽曲を発表している。初期はメランコリックで内省的なムードが強かった世界は、官能的なふくよかさを帯び、近年はより軽やかで先鋭的に、宇宙的な広がりを見せている。2026年1月には、最新作「Kiss the Beast」がリリースされた。

サングラスに長い髪、口元、顎周りにたくわえられた髭。その風貌は「beast」、野獣を意識しているのだろう。大柄な体を、繊細な色、エレガントなファッションで包む。そうしたインパクトの強いビジュアルや、美しくも謎めいた楽曲から、「鬼才」と称されることが多い。ステージや言動から伝わってくるその人は、ロマンチックでチャーミング。大胆でもあり、並外れてデリケートでもある。ピアノを弾く、マイクを持つ、キスを送る、指の動きに、それを感じる。

彼の音は吐息である。肌触りがあり、空気に情感を残す。
おそらく、もっとも広く愛されている代表曲と呼べるのが「La Ritournelle」だろう。「La Ritournelle」はセカンドアルバム「Politics」に収録され、その後もさまざまな形態で発表され続け、年を重ねるごとにファンを増やしている。
さざ波のように押し寄せ、リフレインするピアノのフレーズ。愛の言葉。その音は、空間に風を届け、人々の意識を時空から解き放つ。

今回は、「Politics」の次に発表されたオリジナルアルバム「Sexuality」から、最後に置かれた「L’amour et la violence」を取り上げる。本アルバムは、元ダフト・パンクのギ=マニュエル・ド・オメン=クリストがプロデュースしたことでも注目された。
全体に粘り気が強く、官能にむせかえるような湿気が漂う。そうでありながら、時にやわらかで抜け感のある電子音が絶妙に絡まり、水気を浮遊させたり、吹き飛ばしたり、消失させたりしてゆく。そんな愛の行為を思わせる楽曲が多く収録される「Sexuality」だが、「L’amour et la violence」は、愛の交感を経て、一人に還る、自らの内奥に向かっていく作品だ。どこか空虚さが漂う。この前に置かれた、女性の笑い声が幻聴のように鳴りわたる「Manty」を聴いた後に聴くと、より没入しやすいだろう。


Dit moi qu′est que tu pensais?
de ma vie
du mon adolescence
Dit moi qu’est que tu pensais?
j′aime aussi l’amour et la violence

どんなふうに思っているの
僕の人生について 僕の思春期について
どんなふうに思っているの
僕は愛も暴力も同じくらい愛してるんだ

下降するピアノの音に誘われ、自らの深い領域に降りていく。静かな泉。その前に立つことで、癒えるもの、還るものがある。音が泉に触れ、波紋のように広がる。
繰り返される言葉は、音楽家の人生を貫く問いなのだろう。バックグラウンドは次第に大きく拡張していき、大気圏を抜け、天空の星々にまで、宇宙規模で広がっていく。それでも最後に残るのは、泉の響きだ。胎児に聞かせるような趣で。

愛と暴力が分かちがたいものであることも、テリエの音楽に出会った頃、悟らされた。
「L’amour et la violence」もライブで頻繁に演奏される代表曲だ。残念ながら、いまだ生で聴けたことがなく、いつかその音の海に身を浸すことを切望している。
二度、オートマティスムを試みた。

[Automatisme 1]

水色のシャツを着た男が、白い階段を降りていく
そこには泉が広がっている
たゆたっている
海、なのかもしれない
ごつごつとした足
を、男は見る
男は足を水に浸す

奥の暗い青い空
顔をゆっくりと上げていく 少しずつ
朝日か、黄色い光が見える
男は歩いてみる
波は弱いのに、足が動かない
電磁波のようなしがらみが、体に巻き付いている
男は歩を進めることができない
目を、陽光が染める

[Automatisme 2]

原野
白い道
十字架のように交差
ここで別れると、二度と会うことはない

背を向けて進む男
花を見つける
黄色、白
背後から、子供達の笑い声が聞こえる
笑顔

振り返らない
そこは坂道となっていく
ちょうどよい霧だ

足の砂利
遠くで、水が流れるような、沢の音がする
めぐっている

男は歩く
振り返ってはならない

手元に届けられた、何かの白い破片
卵の殻か
布か
羽か
紙か

男は靴を脱ぐ
砂利がしみる

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