「作品から作家の肉体を想像する。」あるダンサーが、そう語っていたことがある。眼前に広がる世界は、どのような肉体から生み出されたのか。その視点はきっと、鑑賞の時間をより豊かにしてくれるだろう。意識。幻想。目に見えないものは創造の着想源となるが、肉体はそれらを知覚し、無意識さえすくい上げ、作品へと具現化する。肉体を重んじ絵画制作に取り組んできた芸術家の一人に、横尾忠則(1936 ~)がいる。
「横尾忠則の肉体派宣言展」が、横尾忠則現代美術館(兵庫)にて8月24日(日)まで開催中だ。本展では、理性や思考を手放し、肉体をもって作品に対峙してきた巨匠の数々の作品を目にすることができる。
(楡 美砂)
描く肉体。生々しい筆触が体を浮かび上がらせる

初めの展示空間2階では、「描く肉体」に焦点が当てられる。作家の躍動的な体を感じられる作品が展示されており、制作時の動きが筆触から生々しく伝わってくる。光や音を発する作品も見られ、鑑賞者の身体感覚を刺激する。また、「ラジオ体操第二」や運動会の定番曲「天国と地獄」といった肉体と結びつきの強い音楽が流れるなど演出が利いており、つい体を動かしそうになる。

激しい筆使いが際立つ本作。輪郭線が放棄され、一見すると主題をつかみにくいかもしれない。戦場に天の使いが降りてきている様子が描かれており、仏教絵画の主題の一つである来迎図に通じる構図となっている。迫りくる画面の躍動を、間近に味わいたい。

(右)《池の蓮》1983年

こちらは、利き手を使わずに、左手で描いた作品だ。歌川広重が日本の名所を描いた「六十余名所図会」が原案とされている。コントロールしきれない線の動き。それらが重なり合い、一つの光景を生み出している。緊張や停滞を手放した、即興的で伸びやかな画面が心地よい。

現在89歳の横尾氏。かねて肉体への意識は強く、中でも「アスリートのように描いた」と語り、完全新作102点が発表された「横尾忠則 寒山百得」展は記憶に新しい。難聴、腱鞘炎を患う中、老いに伴う肉体の変化を自然現象として受け止め、あいまいな視界、思うように動かない筆を表現そのものへ昇華させ、横尾流「朦朧体」を生み出した。本展でも、震えるような朦朧体の味わいを堪能できる。


今年開催された「横尾忠則 連画の河」展においても新作約60点が発表された。本作《追憶あれこれ》は、連画の河シリーズで出発点となった同級生たちとの集合写真を思わせる構図だ。横尾氏にとって幼い頃からヒーローだったというターザンが画面に動きを生んでいる。対照的に、その下には小さな顔のない人物がひっそりと立つ。この存在は、横尾氏を表すのだろうか。
ここでは横尾氏によるライブペインティングの映像も上映されている。肉体から作品はいかに生まれゆくのか。即興的な筆使いで完成へと向かう過程を目に焼き付けたい。
肉体による混沌とした世界が広がる2階は、本展において「地獄」という位置付けで構成されている。
描かれる肉体。自然の激しさと交感し、格闘する肉体

続いての3階では、「描かれる肉体」に目が向けられる。女性ボディ・ビルダーの先駆者リサ・ライオンや、三島由紀夫など、理想的な肉体を追求した人物の姿も描かれている。横尾氏とリサ・ライオンのコラボレーションは、主に自然の中で行われた。文明から離れ、創造する肉体同士が対峙し生まれた作品には、生の根源的な躍動が刻まれている。

自身の肉体に厳格に向き合う対象を描くことは、横尾氏にとっても体当たりの表現であったはずだ。作品の前で、筆を動かす横尾氏の姿を想像すると、どこか格闘めいた熱が伝わってくる。一方で、リサ・ライオンを描いた作品には、横尾氏の作品に代表的なビビッドなカラーでなく、柔らかく自然に近い色が多用されている点は印象深い。

本作では、天から流れるような清涼な滝と、地上で燃えさかる炎、磔にされた身体の一部が対比的に描かれている。タイトル《水+火=血》からは、私たちの肉体が、対極的な水と火それぞれに共振する、血を介した媒体であることを思わせる。


3階の展示空間は、天国に向かう前に罪を清め、耐え忍びながら審判を待つ「煉獄」と位置付けられている。迫力ある大判の作品群の前に立つと、どうしても自分自身の肉体にも意識が向いていくだろう。
魂の彷徨。闇のY字路を歩き、自らの体を観察する

最終章となる4階の展示空間には、肉体が消失した後の世界が表現されている。「天国」とも呼ぶことができる。そこには、自身の体を意識せざるをえない空間が広がる。薄暗い中に浮かび上がる、Y字路の作品群。横尾氏は人生の岐路を表す場所として、2000年頃より三叉路、横尾流に言ってY字路を描き続けてきた。色や人物などが配されたY字路作品も多いが、ここでは人間一人いない寡黙な作品ばかりが展示されている。


浮遊霊になったような、どこか心許ない感覚を覚えながら、その空間を歩く。闇に光るY字路。異界と通じるような霊的風情も相まって、体内に眠る魂が、散歩に出てしまいそうな感覚に陥った。

肉体派芸術家の力に触れ、身体感覚を解きほぐす
哲学者ニーチェは『ツァラトゥストラかく語りき』で肉体の侮蔑者を強く非難している。肉体こそが知性を持ち、本能、感情の創造主であると。
創作をしていると、つい思考ばかりがめぐり、手が進まないという表現者もいるだろう。そんな時は自身の肉体に眠るものを信じてまず取り掛かってみる、あるいは体を解きほぐしてからとりかかるのも有効かもしれない。
パワフルで身体性あふれる横尾氏の作品と対峙すれば、自身の肉体も刺激を受け、感覚がほぐされていくはずだ。本展は、いよいよ8月24日(日)まで。肉体の主体・客体、そして肉体の消失の先に、どのような感応が生まれるのか、未体験の方はぜひ観察してみてほしい。

展覧会情報
横尾忠則の肉体派宣言展 会期:2025年5月24日(土)〜8月24日(日) 開館時間:10:00〜18:00(入場は17:30まで) 休館日:月曜日 場所:横尾忠則現代美術館 Webサイト: https://ytmoca.jp/exhibition_category/current/ |