喜多川歌麿、東洲斎写楽——日本を代表する絵師を発掘し、卓越したビジネスセンスで幾多の出版物を世に送り出した江戸時代の版元・蔦屋重三郎。現在放映中のNHK大河ドラマ「べらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜」(以下、「べらぼう」)では、蔦重が浮世絵というメディアを通じて挑戦し続ける姿が多くの共感を呼んでいる。今春、「べらぼう」に合わせて東京国立博物館 平成館で開かれた「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」には、20万人を超える来場者が押し寄せた。また、同館 表慶館では現代作家による「浮世絵現代」展が同時開催され、絵師、彫師、摺師という浮世絵のつくり手たちへの関心も高まっている。
「べらぼう」に撮影協力し、「浮世絵現代」展の制作を担ったアダチ版画研究所の浮世絵を鑑賞できる企画展「復刻版で体感! 歌麿・写楽のキラキラの魅力」が10月21日(火)から11月15日(土)まで東京・目白にある公益財団法人アダチ伝統木版画技術保存財団の財団常設展示場にて開催される。江戸期から続く木版画の制作現場に迫る注目の浮世絵展だ。
(楡 美砂)
「べらぼう」に協力。100年続くアダチ版画研究所の技術が結集した復刻版

アダチ版画研究所は1928年の創業以来、約100年にわたり江戸期の木版技術を継承してきた伝統ある工房兼版元だ。江戸期の浮世絵作品を数多く復刻させており、「べらぼう」の撮影協力では浮世絵制作の監修のほか、木版などを貸し出している。本展では、現代の職人たちが復刻させた江戸期の浮世絵約20点と木版制作の関連資料が展示される。展示作品はいずれも、江戸期と同様に一点一点制作された木版画で、彫師、摺師たちの創意工夫に迫る内容となっている。
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浮世絵の制作工程をご存じだろうか。浮世絵は、版元、絵師、彫師、摺師の4者によって制作が進められる。版元が企画を出し、絵師が下絵を描く。彫師がその絵から複数の版木を彫り、摺師は下絵に合わせて版木に絵具をのせ、和紙に摺り、色を足していく。版元はその全工程をプロデュースする。彫師と摺師は、版元と絵師の指示によって調整を繰り返し、作品を完成させていく。江戸期、商業印刷の効率性を求めて生まれた木版技術だが、一枚の浮世絵が完成するまで、現代では想像を絶するほどの時間が必要となる。隅々まで職人たちの息が吹きかかっており、浮世絵はまさに職人技を結集させた総合芸術と言える。
現在、国内で活動する彫師、摺師は50名に満たないという。アダチ版画研究所では、高い品質水準を維持するために、版元と彫師、摺師が一つ屋根の下で作業するスタイルを採用している。制作を担うのは、20〜30代の職人たちだ。彼らは、一つひとつの彫り、摺りが新しい伝統を築いていくことを自覚し、神経を研ぎ澄ませ、日夜制作に向かっている。
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光沢を放つ雲母摺に注目。謎に包まれた蔦屋独自のキラキラを再現

本展の見どころの一つは、独特の光沢感を放つ鉱物性の粉・雲母(きら)が使われた作品だ。この光沢は蔦屋ブランドを特徴づけるもので、寛政初期、蔦屋から刊行された歌麿や写楽の浮世絵の多くに見られる。写楽デビュー時には雲母摺(きらずり)の大判28枚組が一挙に発売されており、蔦重の力の入れようが窺える。
復刻にあたって、職人たちは多くの謎に直面した。浮世絵の多様な技法は職人間で受け継がれてきたが、蔦屋版に見られる独特の光沢を創る技法は伝承されてこなかったのだ。光沢に雲母が使用されていることはわかっていたが、通常の雲母摺では、これほどの効果は生まれない。また、作品の裏には通常バレン*で摺った跡があるはずだが、この背景部分には残っていなかった。
写楽作品の全図を復刻することに生涯を捧げたアダチ版画研究所の創業者・安達豊久氏は、復刻事業を進める中、雲母の部分は型紙を用い、刷毛で絵具を引いていると見定めた。しかし、雲母と何を混ぜているのか、材料がわからない。当時入手可能だったと思われる素材を使い、試行錯誤を重ねた。その結果、雲母と膠(にかわ)を混ぜ合わせることで、蔦屋版作品とほぼ同じ効果を生み出すことに成功したのだ。
当時の姿を再現した復刻版を目にし、歌麿や写楽の作品が当時の人々に与えた衝撃を追体験したい。
*木版画で用いられる、竹皮などでできた摺り道具。

手に持てる浮世絵も。ギャラリートークで「べらぼう」の版木を特別公開

本展では、来場者が浮世絵に親しめるような、木版画工房ならではの工夫が施されている。例えば、照明の下で浮世絵を手に持ち、じっくり鑑賞できるコーナーが設けられるという。浮世絵は元々、庶民が自宅で手にし、眺めて楽しむ大衆娯楽だった。現代より浮世絵が身近だった当時の暮らしを思い浮かべながら、浮世絵を間近に味わってはいかがだろう。
また会期中、スタッフによるギャラリートークが4日間、計6回(各回約45分)実施される(要申込)。ギャラリートークの際は、アダチ版画研究所の彫師により彫られ、「べらぼう」の撮影で使用された歌麿の美人画の版木が特別公開される。職人たちの精緻な仕事を目の当たりにできる機会をお見逃しなく。
現代の職人たちが挑む、新時代の浮世絵

同時開催される特集展示「版元 アダチ版画研究所の仕事 〜浮世絵の復刻から現代アートまで〜」にも注目したい。本展では、葛飾北斎、歌川広重など江戸時代の絵師に始まり、草間彌生、田名網敬一、李禹煥、アレックス・ダッジ、ロッカクアヤコといった現代作家に至るまでの作品が展示され、江戸から現代、未来へ続く浮世絵の変遷をたどることができる。
アダチ版画研究所が手がけた現代作家の作品は、その多くが今春、東京国立博物館 表慶館にて開催された「浮世絵現代」展にて発表された。いずれも従来の浮世絵の概念が覆されるような新鮮さに満ちていた。枠線がなく、単色塗りにとどまらない現代の絵に、職人はどのように挑んだのか。本展を通じ、最先端の浮世絵技術を目にすることができるだろう。




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ドキュメンタリー映画『バレンと小刀 時代をつなぐ浮世絵物語』公開

アダチ版画研究所の職人たちが現代作家たちとのコラボレーションに挑むドキュメンタリー映画『バレンと小刀 時代をつなぐ浮世絵物語』(松本貴子監督/出演:草間彌生、ロッカクアヤコ、アントニー・ゴームリー、ニック・ウォーカー、李禹煥ほか)が10月10日(金)に公開された。第一線で活躍するアーティストを絵師に迎え、多彩な色が重なるアクリル画や、彫刻、スプレーアートなど多種多様な表現に、職人たちは技巧を凝らして挑戦していく。絵師からの細やかな指摘に頭を悩ませつつ、その想いに応えようと、彫師は小刀を、摺師はバレンを手に高みを目指す姿がとらえられている。通常は見ることのできない木版画の制作現場、そして浮世絵表現の現在地を目撃することができるドキュメンタリー作品だ。本展と併せて映画を鑑賞すれば、より浮世絵への理解が深まるとともに、その魅力に引き込まれるだろう。





職人たちの魂が込められた令和の浮世絵を堪能

『バレンと小刀 時代をつなぐ浮世絵物語』では、「同じ動きをして飽きることはないか」という問いに、摺師の女性が「同じことをしているようで、同じことをしていない」と答えるシーンがある。絵具の水分量も、摺りの力の入れ具合も毎回違う。やわらかくも芯のある言葉だった。幾度も試行を重ねながら、色の機微に着目し、目指す仕上がりに近づけていく。また、上映後のトークショーに出席したイギリス出身のグラフィティ・アーティスト、ニック・ウォーカー氏は「プリントされたものと木版画は全く異なる。浮世絵には魂が込められている」と語り、アダチ版画研究所に敬意と感謝を示した。
一流作家たちも魅了してやまない浮世絵の世界。その奥深さに触れることができる本展に、ぜひ足を向けてみてはいかがだろう。
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展覧会情報
| 企画展「復刻版で体感! 歌麿・写楽のキラキラの魅力」 特集展示「版元 アダチ版画研究所の仕事 浮世絵の復刻から現代アートまで」 会期:2025年10月21日(火)〜11月15日(土) 時間:火〜金曜日 10:00〜18:00 / 土曜日 10:00〜17:00 休業日:日・月曜日、祝日 会場:アダチ伝統木版画技術保存財団 常設展示場(東京都新宿区下落合3-13-17) 入場料:無料 【ギャラリートーク実施日程】 ①10月24日(金) 11:00〜/②11月1日(土) 11:00〜/③11月1日(土) 14:00~/④11月5日(水) 11:00〜 ⑤11月15日(土) 11:00〜/⑥11月15日(土) 14:00~ ※要予約 詳細は以下のWebサイトからご確認ください。 Webサイト: https://foundation.adachi-hanga.com/information_kirakira/ |
作品情報
| 『バレンと小刀 時代をつなぐ浮世絵物語』 監督:松本貴子 プロデューサー:松本智恵 出演:ロッカクアヤコ、ニック・ウォーカー、李禹煥、横尾忠則、アントニー・ゴームリー 等 配給:Stranger 特別協力:アダチ版画研究所 公益財団法人アダチ伝統木版画技術保存財団 2025年/日本 Webサイト:https://baren-kogatana.jp/ |