ニュースレター「mist」ご登録受付中!

パッと目にするだけで視界が華やぎ、心が踊るような感覚がやってくる。それはもう、魔法と呼んでいいのかもしれない。アーティゾン美術館にて10月4日(日)まで開催されている「エットレ・ソットサス —魔法がはじまるとき、デザインは生まれる」展は、デザインの喜びにあふれた展覧会だ。
20世紀イタリアデザインを代表する巨匠エットレ・ソットサス(1917〜2007)。近年は欧米を中心に回顧展が開催されており、日本では初の大規模回顧展となる。アーティゾン美術館を運営する石橋財団では、これまで家具、セラミック、機器類、ガラス器、写真、ドローイングなど多岐にわたるソットサスの作品を収集してきた。本展では、初期から晩年に至るソットサスの作品112点に加え、関連作家の作品や資料を合わせた計142点を目にすることができる。

(楡 美砂)

同時開催中
瀧口修造展「書くことと描くこと」の境とは。シュルレアリスムを生きた詩人の試行

創造的な協働。大戦後に誕生した大胆で自由なデザイン

「エットレ・ソットサス」展示風景 ©Yuya Furukawa

展示空間に足を踏み入れると、ビビッドな色彩にあふれた宇宙的な空間が視界に飛び込んでくる。今もなお新鮮で、ユニークなデザインは胸を高鳴らせてくれる。
エットレ・ソットサスは1917年にオーストリア・インスブルックで生まれ、イタリア北部トレントで幼少期を送り、1929年にトリノに移住した。父は建築家で、自身もトリノ工科大学建築学部に進学している。建築家としてのキャリアを積みながらデザイナーの仕事も担い、ソットサスが本格的にインダストリアル・デザインを手がけ始めたのは1950年代後半頃だ。

(右)エットレ・ソットサス《モービル MS. 180》1959-63年頃(デザイン/製作)製作:ポルトロノーヴァ 石橋財団アーティゾン美術館
(左)エットレ・ソットサス《モービル》1957-58年(デザイン)/1959年(製作)製作:ポルトロノーヴァ 石橋財団アーティゾン美術館

第二次世界大戦によりイタリアの経済も大きな打撃を受けたが、1950年代後半から60年代前半に高度経済成長を遂げ、数々の名作デザインが生まれた。イタリアには企業家とデザイナーが議論を交わしながら、創造的な製品を生み出そうと協働していく文化があった。ソットサスが協働した代表的な企業として、家具メーカーのポルトロノーヴァ社、タイプライターを製造するオリべッティ社の製品を目にすることができる。
実験的なデザインを歓迎したポルトロノーヴァ社では、鮮やかなラッカー塗装と赤みを帯びた格調高いローズウッドを合わせたキャビネットなど大胆で自由な遊びに満ちたデザインを発表した。オリべッティ社では電子機器部門のデザイン・コンサルタントとして抜擢された。ソットサスがデザインした《ヴァレンタイン》は、鮮烈な赤と内部構造が見えるほどミニマルなデザインで、タイプライターの無機質なオフィス用品というイメージを覆した。

オリべッティ社タイプライター「ヴァレンタイン」のポスター
「ヴァレンタイン」を含むソットサスがデザインしたタイプライター、加算器

機能主義へのアンチテーゼ。1960年代の熱気あふれるポストモダン

ソットサスのデザインはポストモダンと評されることが多い。バウハウスなどの影響により長らく重視されてきたモダニズムの合理性や機能性ではなく、人間のより本質的な感性を揺さぶる新しいデザインを追求した。

「エットレ・ソットサス」展示風景 

円形の光沢を放つ陶器が積み上げられ、巨大な柱のように並ぶ。どこかレトロフューチャーな空気が漂い、宇宙の神殿のようでもある。オブジェの佇まいは洗練されているが不可思議で、愛嬌もある。
これらの作品群が生まれた背景には、1960年代の時流が如実に影響している。反戦運動、公民権運動、女性解放運動などが世界的に起こっていた当時、イタリアも同様で、若者を中心に社会体制に反抗するカウンターカルチャーが急速に育っていった。ソットサスはこうした動きに刺激を受け、既存のモダンデザインを超克する新しい、実験的なデザインを生み出すべく模索した。その活動はアメリカのビートニクやヒッピーたちとも共振しており、ソットサスはビート作家のアレン・ギンズバーグとも親交があった。彼らがしたようにソットサスも各地を放浪し、社会の枠組みからでなく、より根源的、宇宙的なインスピレーションを得ようとした。中でも、インドなど南アジアを訪れ、荘厳な古代遺跡や、貧しい人々の暮らし、職人の手仕事などを観察した体験は、ソットサスに大きな霊感を与えた。

実際、私は常にあらゆる種類の身振りが魔術的、宗教的な行為に変容するのを見てきたし、自分の人生を宇宙的な行為に変えようとする人々も見てきた。東洋の人々は常に、もっとも貧しい素材に魔法のような緊張感、瞑想的な静寂、忍耐強い感謝の念を与えようと努力してきた。

(Ettore Sottsass, “Experience wuth ceramics(1969)”in Ettore Sottsass:Seramics, SanFrancisco:Cronicle books,1996)

エットレ・ソットサス《トーテムのためのドローイング》1964年 石橋財団アーティゾン美術館 © Erede Ettore Sottsass
エットレ・ソットサス《トーテムのためのドローイング》1964年 石橋財団アーティゾン美術館 © Erede Ettore Sottsass
「エットレ・ソットサス」展示風景
数々のドローイングも展示されている

陶器から成るこれらのオブジェは1967年、ミラノのギャラリーで展示された。訪れたヒッピー風の若者たちはそれらの周りで瞑想をしたり、居眠りをしたりして過ごしたのだという。

カタルーニャ地方放浪時に撮影されたコンセプチュアルな写真作品

1960年代終わりから1980年代後半にかけてイタリアは「鉛の時代」とされ、政治の不安定化、テロの多発など、社会の混乱が続いた。ソットサスは1970年代に入ると、混沌とした都会を離れ、自然を求めてスペイン・カタルーニャ地方を放浪する。そこで、ピレネー山脈を車で移動したり、テント生活をしたりしながら、大地から立ち上がるような原始的な建築物のドローイングを無数に描いた。そして、その建築物を木や石、ロープ、箱などの材料を用いて大自然の中に再現し、「メタファー」という写真シリーズに収めた。それはどこか、儀式的で、東洋の祭祀的な趣も見せている。ソットサスが添えた、感覚をくすぐるような言葉にも着目したい。

存在する家具。国際的デザイナー集団「メンフィス」の哲学

「エットレ・ソットサス」展示風景

ソットサスが他のデザイナーたちと結成した前衛的デザイングループにもフォーカスされている。ソットサスは1978年に実験的デザインを志した「スタジオ・アルキミア」に加わり、いくつかのデザインを発表する。しかし日常生活に全く新しいデザインを届けたいと考えていたソットサスは、流通に無頓着で既存のモティーフをリ・デザインする志向があったスタジオ・アルキミアを1980年に離脱。そして1981年、自ら発起人となり友人たちと全く新しいデザイナー集団「メンフィス」を結成する。最初期のメンバーはマルティーヌ・ブダン(べダン)、アルド・シビック、ミケーレ・デ・ルッキ、マッテオ・トゥン、マルコ・ザニーニ、のちに日本からは倉俣史朗、梅田正徳、磯崎新なども加わった。
メンフィスが発表した家具の革新的なデザイン、ポップな配色や遊び心に富んだフォルムは一世を風靡し、デザインにおけるポストモダンの台頭を確かなものとした。

メンフィスの活動を伝えるパンフレットやカタログ
「エットレ・ソットサス」展示風景
「エットレ・ソットサス」展示風景

メンフィスは明確な宣言や指針を発表しなかった。最初の会合においてもデザインに関する議論はなかったようだ。ソットサスがメンフィスの機能として語ったのは、「存在すること」。ただし、その存在が人々や社会においてどのように機能するかは手がけたデザイナー自身もわからないのだという。

「エットレ・ソットサス」展示風景
前方左はミケーレ・デ・ルッキ、右は倉俣史朗によるデザイン

メンフィスの製品は社会に大きなインパクトを与えたが、次第に商業主義の空気が強くなっていく。それを感じ取ったソットサスは徐々に活動から距離を取り、1985年にメンフィスを脱退した。

大胆な構造と繊細な美しさが共存するガラス器

その後もソットサスのデザインの探求は続き、インド、アメリカ、中国、エジプト、イラン、シリア、カタール、ロシア、日本などを旅して回り、世界中から新しい発見を得ようとした。
1990年代末から最晩年はガラスを用いた器を多数手がけている。キューブ型、円柱、丸や四角など、多様なフォルムを組み合わせた独特のフォルム。吊り下げられたガラスは重厚感を放ちつつ、角が取れたフォルムがチャーミングだ。既存の器の枠組みに収まらない造形は、ソットサスの尽きない好奇心、ユーモアを感じさせる。

デザインの魔法にかけられて、世界は躍動する

「エットレ・ソットサス」展示風景

ソットサスは従来のモダンデザインに縛られず、自由な感性と社会への批評精神を持ち、デザインを問い続けた。ますます合理化が求められる現代にあって、過度な合理性、機能性に疑念を抱き、自由で生き生きとした感性を取り戻そうとしたソットサスのデザインは、見る者の世界を明るく照らし、生命を躍動させてくれるだろう。
ソットサスが手がけたデザインは、フォルムや配色の制作意図を問う前に、デザインが目の前に立ち現れてくるような力がある。見る者はワクワクとし、胸がときめいた瞬間に、デザインの魔法は起こっているのだろう。

同時開催中
瀧口修造展「書くことと描くこと」の境とは。シュルレアリスムを生きた詩人の試行

出典・参考文献:
「エットレ・ソットサス —魔法がはじまるとき、デザインは生まれる」展 図録 公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館 2026年

「エットレ・ソットサス」展示風景 アーティゾン美術館 ©Yuya Furukawa

展覧会情報

エットレ・ソットサス —魔法がはじまるとき、デザインは生まれる
会期:2026年6月23日(火)〜10月4日(日)
会場:アーティゾン美術館 6階展示室
開館時間:10:00〜18:00 (毎週金曜日は20:00まで) ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日 (9月21日は開館)、9月24日
公式Webサイト: https://www.artizon.museum/exhibition_sp/sottsass2026/

エットレ・ソットサス
1917年オーストリア・インスブルック生まれ。1929年に建築家の父の仕事の関係でイタリア・トリノに移り住む。1939年にトリノ工科大学で建築学の学位を取得、第二次世界大戦従軍後、ミラノを拠点にデザイナー・建築家としての本格的なキャリアを開始。1950年代から60年代にかけてオリベッティ社やポルトロノーヴァ社のために名作デザインを次々に生み出し、その名を知らしめる。60年代後半には世界的な反体制の機運をうけた「ラディカル・デザイン」の潮流の只中で、東洋美術やポップアートなどに着想を得ながら極めて斬新な創作を行った。70年代前半にはミラノでの仕事を突如中断し、スペイン・カタルーニャ地方の荒野を放浪しながらコンセプチュアルな写真を撮影して過ごし、「デザイン」とは何かを哲学的に探求した。80年代には自身が発起人となって国際的なデザイナー集団「メンフィス」を結成、大胆な色彩と形態によるデザインの数々でセンセーションを巻き起こした。85年頃にメンフィスを離脱して以降も遊び心溢れる挑戦的なデザインをつくり続け、2007年に90歳で没した。生誕100周年の2017年には欧米の美術館を中心に大規模な回顧展が開催され、その評価はますます高まっている。

関連記事

  • Recommend
TOP