光の画家として高名なオランダの巨匠レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606〜1669)。レンブラントは色彩の世界にとどまらず、黒と白を扱う版画家としても数々の傑作を生み出し、後世に多大な影響を与えた。中でもエッチングという腐食銅版画技術において革新的なアプローチを重ね、表現の新たな可能性を切り拓いた。そんなレンブラントの版画作品に着目した展覧会「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」が、国立西洋美術館で9月23日(水・祝)まで開催中だ。従来は単調、規則的とみなされがちであったエッチングをレンブラントはいかに絵画に並ぶ表現技法へ発展させたのか。レンブラントの繊細で奥深い版画作品と後世の画家たちに現れる影響を追う。
(楡 美砂)
エッチングを独自に追求。社会の周縁に向けられたまなざし

1606年、レンブラントはオランダ・ライデンにて裕福な製粉業を営む家庭に9番目の子として生誕した。飛び級で名門ライデン大学へ進学するものの、画家を志すため中退し、アムステルダムにて物語画家ピーテル・ラストマンの弟子として修行を始める。独立後は主に肖像画や聖書の場面を描く物語絵を制作しながら実績を積み、画家として評価を得ていく。
版画制作は1625年頃から油彩と並行して取り組み、腐食作用をいかした銅版画技法であるエッチングに特に力を入れた。本展ではエッチングの制作工程が映像で紹介され、その作業の奥深さを窺うことができる。
しかし、レンブラントが生きた時代は版画技法の土壌が未開拓で、規則的、様式的な線から構成されがちだった仕上がりに、油彩や水彩のような絵画的表現が乏しいと見られていた。そこへ、レンブラントは独自の試行を重ね、版画固有の表現力を追求し、絵画のような芸術技法へと高めていった。

エッチングの技法を伝える紹介動画
レンブラントの版画作品の特徴は、繊細な線描や深い奥行きを見せる黒の諧調表現、絵画のようになめらかな仕上がりなどが挙げられる。
版画では刷りの段階を「ステート」で表すが、レンブラントは作品によっては第5ステートまで刷りを重ね、陰影を深めた。また、刷りを施す紙へもこだわりが見られ、作品によっては当時入手が困難だった和紙などを用いている。細部の仕上がりまで神経を通わせて制作していたことが窺える。

(右)ヤン・リーフェンス《毛皮の帽子をかぶった老人》1630-32年 エッチング レンブラント・ハウス美術館
こちらは、同じ工房で切磋琢磨したヤン・リーフェンス(1607〜1674)の作品を基に制作された作品(左)。レンブラントの自画像と見る向きもあるが定かではない。画家としてキャリアを積み始めた頃、レンブラントは油彩で物語絵や肖像画など、華やかで権威性のある作品も多数手がけていた。版画作品においても自画像や近親者の肖像は見られるものの、より自身が描きたいものに向き合おうとする姿勢が感じ取れる。中でも特徴的なのは、社会の周縁に生きる人々を多数描いた点だ。17世紀のオランダでは風俗画が流行し、居酒屋や娼館の様子、中・上流家庭の女性たちの日常、農村の祝祭などの主題が人気を得た。そんな中でレンブラントは旅回りの楽師や、貧窮者、物乞い、障害を持つ人々にまなざしを向けた。


(右)レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《ヒョウタンを持つ貧窮女性》1629年頃 エッチング レンブラント・ハウス美術館
エッチングが見せるモノクロームの寡黙な描写は、生活に困窮し、1日を必死に生きる人々の現実を克明にとらえた。光と影の魔術師と称されるレンブラントは、華やかな社交の場や成功者たちを描くと同時に社会の深層へ鋭い視線を向け続けていたからこそ、そのコントラストを鮮やかに浮かび上がらせたのだろう。
《百グルデン版画》。聖書を伝えるモノクロームの世界

レンブラントが手がけた版画作品の中でも傑出した《百グルデン版画》にも対面できる。作品名は、本作に付けられた破格に高額な価格に基づいている。背景の黒の階調表現とキリストを中心に広がる白い光の対比が鮮やかだ。描き込みの多い影の部分とスケッチのように少ない線で描かれる左側の描写の違いに着目したい。背景の黒は水墨画のようなにじみに似た趣を見せている。この質感の機微は、レンブラントが支持体に和紙を用いたことも影響しているだろう。
群像を描く構成力が際立つ本作では、画面にキリストが見せたいくつもの奇跡が描かれている。病人たちへの癒やし、子供たちへの祝福、永遠の命を求める若者への回答、パリサイ人と交わした結婚や離婚に関する議論、裕福な者への戒めという、複数の主題を一つの画面に収めるアプローチは革新的だった。


(右)レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《イタリア風景の中で読書する聖ヒエロニムス》1653年頃 エッチング、ドライポイント/和紙 レンブラント・ハウス美術館
レンブラントは聖ヒエロムニスの主題も多く描いた。オランダで主流であったプロテスタントにおいて聖人崇敬は禁じられていたが、聖書をラテン語に訳したヒエロムニスは、宗派を問わず学問を志す者の尊敬の対象だったという。それぞれ同じ版から成る作品で、右の作品は和紙に刷られている。

イタリア・ジェノヴァ出身の画家・版画家のジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネは、当時では珍しく国外の作家からも影響を受けた。入手困難だったレンブラントのエッチングを目にする機会に恵まれ、聖書主題の作品を多数残した。本作では、旧約聖書でノアの箱船に乗り込む動物たちの姿が躍動的に描かれる。なお、右下には排泄する犬が描かれ、レンブラントの版画作品《善きサマリア人》から引用されている。
本展ではレンブラントが手がけた銅版も展示されている。妻サスキアなど人物の頭部が軽やかに描かれており、銅版上でスケッチするように制作していたことがわかる。



エッチング再興。レンブラントの神秘的名画が象徴に

(右)フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《〈戦争の惨禍〉79:真理は死んだ》1810-20年頃 エッチング、バーニッシャー /ウォーヴ紙 国立西洋美術館
19世紀に入ると、レンブラントの版画作品は主に画家や文学者により注目され始める。スペインでは、フランシスコ・デ・ゴヤがレンブラントに刺激を受け、自身の版画に取り入れている。当時のスペインではレンブラントの版画作品は希少で入手困難だったが、ゴヤは友人のコレクションから作品に触れることができた。ゴヤは芸術家として腕を磨く上で「私には自然、ベラスケス、レンブラント以外に師匠はいなかった」という言葉を残している(‘Yo no he tenido otoros maestros que la Naturaleza, Velázquez y Rembrandt’ Matheron 1890)。
隣に並ぶ両者の作品を見つめていると、放射する光線や深い陰影にレンブラントの影響を読み取ることができる。


レンブラントの版画作品が一躍脚光を浴び始めたのは、19世紀前半のフランスである。当時エッチングは世間から忘れ去られた技法となっていたが、作家の自由な創意を受け止める技法として再評価を得ていく。エッチングが下火となったのは、アカデミズムにおいて金属板に直接彫り込むエングレーヴィングが上位とされていた背景がある。しかし、既存イメージの複製が前提とされ、彫りに一定の力を要し均一な描写になりがちだったエングレーヴィングに対し、手の動きを活かして制作できるエッチングは、作家の創造性を伸びやかに発揮するのに適していた。
また、文学者ヴィクトル・ユーゴーやシャルル・ボードレールなどがレンブラントのエッチング作品を著書で引用、称賛したこともエッチングへの注目を高め、「レンブラント崇拝」とも言える一大ムーブメントが起こっていく。1862年には腐食銅版画家協会が設立され、エッチング再興を強固なものとした。

中でも象徴的な作品が、レンブラントの《書斎の学者(ファウスト)》だ。学者が見る窓辺からは光が差し込み、文字や人影が幻視的に浮かび上がっている。中心に見える「INRI」は、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王(Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum)」の意を表す。この文字列はイエスの磔刑を描く数々の絵画や彫刻等にしばしば記されている。本作の「INRI」の周りに浮かぶ文字の意はさまざまな考察を呼びつつ現在も解明されていない。
謎めいた神秘性を放つ本作は数々の作家の創造力を刺激し、レンブラントの熱烈な愛好家だったドイツの文豪ゲーテも、代表作『ファウスト』において着想源にしたという。『ファウスト』に基づき本作を観れば、この場面は悪魔と契約を結ぼうとするファウスト博士が神から警告を受ける瞬間と読み解くこともできる。
本作は19世紀の精神を象徴する作品となり、レンブラントの名を版画家の巨匠としても確立させた。エッチング再興を特集した週刊誌「エッチングのパリ——時事、好奇心、幻想」のポスターにも活用されている。


自由な線描表現を活かせる版画技法として支持されたエッチングだが、その技術を複製に用いる作家もいた。こちらは言わずと知れたレンブラントの代表作《夜警》を、シャルル・ワルトネが写した作品と見られている。名画を黒と白の世界へ変換を試み、巨匠の芸術観を追いながら技術の向上を目指したのだろう。

レンブラントの風景版画も人々を魅了した。その代表作と言えるのが《三本の木》である。空の明暗、卓越した描写が観る者を引き込む本作には、細部に物語が散りばめられている。天候の急変を思わせる空、地上では釣りをする男女やスケッチをする人物が描かれ、嵐の前か後か、この先彼らに何が起こるか想像をかきたてる。その影響は、アルフォンス・ルグロの《嵐の川景色》に顕著に見て取ることができる。

風景画はアカデミズムにおいて長らく画題の下位に置かれてきた。それゆえ画壇の評価を得るのでなく、自らの芸術探求から生まれたエッチングの風景画には、作家の純粋な創意が如実に現れている。
本展では風景画の礎を築いたジャン=バティスト・カミーユ・コローが残した版画作品も目にすることができる。視界に映る風景は、内面の投影とも解釈できる。多様な趣を見せる風景画を前に、作家たちの精神性にも思い馳せたい。

さらに本展ではアンリ・マティスやパブロ・ピカソ、オディロン・ルドンなど近代絵画の巨匠たちの版画作品も並び、世紀を超えて現代に続く版画芸術の広がりを伝えている。

色彩の魔術師として名高いマティスも版画制作に向かい、黒と白、線の表現に打ち込んでいる。本作はレンブラントの《窓辺でエッチングを制作する自画像》を着想源にした可能性が指摘されている。《窓辺でエッチングを制作する自画像》は、17世紀にもドイツの版画家ゲオルク・フリードリヒ・シュミットの自画像においても下敷きとされており、レンブラントを源流に生まれた系譜を見ることができる。

(右)レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《窓辺でエッチングを制作する自画像》1648年 エッチング、ドライポイント、ビュラン/中国紙 レンブラント・ハウス美術館

象徴主義を代表する画家ルドンは、キャリア初期に緻密な幻想的なモノクロームの世界を多数描いている。レンブラントを崇拝するエッチング作家ルドルフ・ブレダンに師事し、版画芸術を追求した。ルドンは自らの手記で幾度もレンブラントに言及しており、諧調表現や明暗法、そして黒と白が成す深淵な世界に賛美を寄せていたことが窺える。
本作には、デューラーの木版画連作『黙示録』とレンブラントの漆黒表現の影響が認められている。暗闇から姿を見せる創造主、手には7つの星、口から十字を思わせる剣が出でる幻想的世界は、観る者の想像をかきたて、象徴の世界へ誘う。黒と白の世界に向かい続け、深淵な闇から色彩が花開いたルドンの世界は、レンブラント作品が放つ神秘性、まばゆい光と深く共振している。
黒と白の深淵な世界へ。芸術家の自由な創意に触れる
かねてエッチング作品に対峙すると、その静けさと作家の深い内省を受け取り、見入ってしまうことがしばしばだった。本展を通じて、エッチングが素描のような静けさを宿しつつ、よりシャープで奥深く対象の真髄に迫る力を有することを実感させられた。極限まで微細な線描で構築された糊塗のないモノクロームの世界は、観る者の心を鎮め、深い感慨をもたらすだろう。
エッチング再興の出来事は、芸術の技法を生み出し、更新していくのはアカデミズムや画壇の評価ではなく、作家の純粋な創意であることを示している。黒と白の世界において作家が挑み、描き続けた創意を汲み取りに足を運んではいかがだろう。
出典・参考文献:
「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展 図録 国立西洋美術館 2026年

展覧会情報
| 「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」 会期:2026年7月7日(火)〜9月23日(水・祝) 会場:国立西洋美術館 企画展示室 開館時間:9:30~17:30(金・土曜日は~20:00)※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日(ただし、9月21日(月・祝)は開館) Webサイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2026rembrandt.html |