音楽を聴いていると、風景が浮かぶ。そんな経験がある人は多いのでは?
音楽が放つ世界観、あるいはリスナーが楽曲を聴いた当時に身を置いていた環境、周囲との関係性、さまざまな情景がないまぜとなり押し寄せてくる。音楽は時に、そんな体験をさせてくれる。ここでは「音楽のオートマティスム」と題し、1曲に光を当て、その音がどのような情景を連れてくるのか記したい。
(楡 美砂)
久しぶりの本企画。今回はジュディ・シル(Judee Sill)という、シンガーソングライターをご紹介したい。アメリカ・ロサンゼルス出身の1944年生まれ。世代的には、キャロル・キング(1942〜)や、ジャニス・ジョプリン(1943〜1970)と同時代を生きたアーティストだ。けれどおそらく先の二人に比べると、その名を知る人は圧倒的に少ないのだろう。しかし、ひとたび彼女の音楽を耳にしたら、人々はその才能に感嘆し、称賛の声を送る。
ジュディ・シルは、自らギターやピアノを奏でながら透明感ある伸びやかな歌声を響かせ、崇高とも呼べる音楽を残した。楽曲の多くは、ギター、ピアノ、ストリングスなどのアコースティックな形態を取るが、同時代に発表されたフォークミュージックとは同列に並べがたい。宗教音楽のような神々しさを放ち、どこか格別な、独立した根を持つように思われる。
現代の秘めやかな存在感とは相反し、ジュディ・シルのデビューは華々しいものだった。ジャクソン・ブラウンやイーグルスなどが所属したアサイラム・レーベルの第一号アーティストとして、1971年にアルバム『Judee Sill』でデビュー。その中から「Jesus Was a Cross Maker」がシングル・カットされる。彼女の楽曲の中で特に知られる、珠玉の名曲だ。内省的なシンコペーションに耳を預けたら、引き込まれるまま遠くへ導かれ、気がつけば教会で跪き、天を仰いでいるような展開を見せる。
静かな水面。声が響き、波紋を生む。光線が反射し合い、広がりを見せる。祈る女性。風が吹き、内と外が揺さぶられ、やがて、吹きすさぶ嵐のような、突如見舞われる祝祭のような、旋風が立ち上っていく。その風は、人を天へと運びゆくのか。
そんなイメージを抱かせるこの曲は、彼女の個人的な失恋体験、ミュージシャンJ.D.サウザーとの破局が投影されたという。「イエスは十字架を作った」と繰り返され、イエスが自ら贖罪の証である十字架を作ったことと、喪失体験から導いた許しと創造のプロセスを重ねている。
ジュディの音楽のベースはクラシックにある。中でも、彼女はバッハに傾倒した。和声音楽、重奏的なボーカル、バロック音楽に通じる緻密な編曲。このような音楽的感性を、彼女はどのように養ってきたのだろう。
正直に言って、当初私は彼女に対し、音楽性や風貌の印象から、寡黙で内省的な文学少女、あるいは幼少から信心深い聖歌隊出身の歌い手、といった印象を安易に抱いたが、(当てはまる要素があったとしても)彼女のバックグラウンドは予想に反し、壮絶なものだった。
ジュディは幼少期に家庭内で義父から虐待を受け、反抗して家出をする。ドラッグ、窃盗などの非行に走り、少年院に入ることに。出所後もドラッグ、犯罪を続け、刑務所へ。服役中にジュディはバッハの宗教音楽に聞き入り、作曲を志す。薬物中毒を克服し、出所後にシンガーソングライターになることを目指し始める。
その後、演奏技術、作曲の才能を見せたジュディは、自身のファーストアルバムのプロデュースを手がけたグラハム・ナッシュのオープニング・アクトを務めるなどミュージシャンとして活動を始める。そんな中、アサイラム・レーベルの創設者デヴィッド・ゲフィンと出会い、デビューアルバムの制作に入る。作曲家として、1969年には、ザ・タートルズ(The Turtles)へ「Lady-O」を楽曲提供しており、高い評価を得ている。
ジュディが生前に残したアルバムは2枚。デビュー時から話題性があり、評価も高かったものの、商業的な結果には結びつかず、彼女は少しずつ音楽界から姿を消していく。晩年は消息不明となっており、明らかでない点も多いが、再びドラッグに手を染め、1979年、コカインの過剰摂取により35歳で亡くなったと伝えられる。
長年ジュディ・シルは音楽界から忘れ去られた存在となり、後年の人々が彼女の作品を受け取る機会は乏しくなっていた。近年になってCDの復刻や、配信を通じて彼女の声が再び人々に届き始めたことは本人の名誉回復だけでなく、音楽界においても重要な所産と言えるだろう。
1973年に発表され、生前最後のアルバムとなった2枚目の『Heart Food』は、よりジュディの宗教観が現れた内容となっている。中でも最終曲となる「The Donor」は8分に及び、壮大なレクイエムのような世界が繰り広げられる。孤独。贖罪。自然、宇宙との交感、回帰。神への崇敬。繰り返されるKyrie eleison(キリエ・エレイソン)はミサで口にされる祈りの言葉で、ギリシャ語で「主よ、憐れみたまえ」を意味する。
そして2005年には、サードアルバム『Dreams Come True』がリリースされた。1974年に録音され、未発表となっていた音源が25年以上の時を経てようやく世に届けられたのだった。本作はジュディの神秘主義的な世界がさらに強まる作風となっており、音楽家の深奥にある魂の輝きに魅せられる。
ジュディ・シルの生きざまと作品を知ると、どれほど生活が荒んでいたとしても、作品こそ、その人の本質を映し出すということを思い知らされる。彼女に限らず、私たちの多くは作品を前に創り手と対話することはかなわないが、その存在の最も根幹で、繊細な箇所に確かに触れていると言える。
「The kiss」砂を歩き、湖上を飛び、天へ上る
今回はセカンドアルバムに収録されている「The kiss」でオートマティスムをしてみたいと思う。当初は「Jesus Was a Cross Maker」で試みようと考えていたが、どうもイメージが固定化してきたような感覚を覚えたため変更した。「The kiss」は、静かなピアノで弾き語られる瞑想的な一曲で、宇宙や光、目に見えぬ魂との交感を思わせる歌が響きわたる。
「The Donor」が、地底を重たい足取りで歩く存在の悲愴を鎮める世界だとしたら、「The kiss」は高く高く手を伸ばし、天上の存在に近づこうとする世界を感じさせる。その神々しい、聖なる気に指先で触れんとするように。
[Automatisme]
裸足
乾いた砂の上を歩いている
足裏から剥がれていく砂
私は裸だ
この目には、何が映るのか
霞がかかっている
亀
亀が空を飛んでる
私の体は、ひどくやせぎすだ
だから、飛べるのかもしれない 亀と一緒に?
流れ星
髪の長い、あなたが見える
笑ってはいない
でも、雲の上で、少しくつろいで見える
かつていた湖
崖の上から
その水面の輝きを、さんざめく輝きを、重なるように見つめていた
水平にも、天上に向かってでも
今は、飛べるのだ 多分
吸い込まれるように 光に
その先の、光に
目を見開く、白髪のあなたに
ふわふわと、白い雲の上 雲ばかり
やはり、誰もいなくなった
私は一人
一人浮いているだけで、世界になれる