降りそそぐ陽光を受け、喜びにきらめく木々。葉の一枚一枚がまばゆい光を散らす。スタニスラフ・ブーニンの音楽を聴いていると、そんなイメージに見舞われる。
1985年のショパン・コンクールで優勝し、世界的ピアニストとして活動してきたブーニン。日本においてもNHKでショパン・コンクールの特別番組が放映されると、その才能、スター性はクラシック界に留まらず熱狂的な支持を集め、ブーニン・ブームを巻き起こした。第一線で演奏してきたブーニンだったが、2013年以降、身体的な問題に直面し、表舞台から姿を消す。2026年2月20日から全国公開中のドキュメンタリー映画『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』では、ブーニンが不安や葛藤を乗り越えながら10年の歳月をかけて再起に至る道のりが映し出される。

(楡 美砂)

並外れた感受の力。ロシア・ピアニズムを築いた音楽一家に育つ

Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会

ブーニンはソビエト社会主義連邦(現ロシア)のモスクワで1966年に生まれた。よく知られているように、祖父はロシア・ピアニズムの基盤を築いた、高名なピアニストで教育者のゲンリッヒ・ネイガウス、父もピアニストのスタニスラフ・ネイガウス。母リュドミラ・ペトローヴナ・ブーニナもネイガウス門下で育ったピアニストという、音楽一家に生を授かる。ブーニンが生まれて間もなく両親は離別し、母とギタリストの養父イワノフ・クラムスコイ、叔母により育てられる。

ブーニンの音楽的才能はこうした家庭環境が背景にあることは確かだが、加えて彼自身の感受性の高さがそれをより高次に開花させたといえる。ブーニンは、ピアノを弾き、音楽を奏でることは世界との交感であることを幼い頃から予知し、目に見えないものを感受する力、自然から霊感を受け取る力に長けていた。彼の自伝『カーテンコールのあとで』では、十一歳の頃、初めて福音書を読んだ時のことを次のように述懐している。

福音書に初めて触れ、微妙な表現とニュアンスに満ちた難しい神の本とにらめっこしているうち、私は突然、こんな感覚にとらわれたことを思い出す。“私は十一年の歳月を歩いてきただけのありふれた人間なんかじゃない。私は肉体から離れ、二千年も世界をさまよい続けている意識、福音書で述べられている本質を、過去にあったこととして、そしていま現在起きていることとして受け取ることのできる意識なのだ”と。
(『カーテンコールのあとで』‎スタニスラフ・ブーニン 主婦と生活社 1990年)

義父イワノフ・クラムスコイの影響も大きかった。「ソ連教育につきものの幼稚で安っぽい、陳腐な表現に触れさせないようにすること」が配慮されながら、音楽、絵画、文学、詩、そして、自然の味わい方についても教えてくれたという。

完成された自然の美と調和の中に身をおいたときにこそ初めて体験できるなんともいえない意識の高まり。魂が舞い上がるような感覚は、とてもうまくはお伝えできない。
二人で旅して回った中部ロシアの森や野原もなつかしい。神秘のベールに包まれた生活の法則のようなものを、私は無意識のうちに感じ取っていたような気がする。(中略)太陽の光の美しさを感じない人間にモーツァルトの長調の旋律は理解できるわけがないし、葉っぱのささやきをわからない人にショパンのプレリュードを弾き語れるはずがない。
(『カーテンコールのあとで』‎スタニスラフ・ブーニン 主婦と生活社 1990年)

Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会

ブーニンの著書を読むと、その視点の繊細さ、感受の豊かさを随所に感じ取ることができる。フランス、ポーランド、ドイツ、日本。多くの国々を訪れる中で街並みや人々から受け取る感慨。そして音楽に留まらず、横断的な芸術への関心。ブーニンの芸術的土壌の肥やしとなったのは、14歳の頃、世界的な詩人・作家ボリス・パステルナークの家で三年ほど暮らした経験が大きかったという。パステルナークは当時のソ連では「陰」とされた真の文化的生活を送る人だった。祖父と親交があったことからパステルナーク家に滞在する機会を得たブーニンは、モディリアーニやカンディンスキーが飾られ、多くの文化人が出入りする邸宅で、絵画、文学、哲学など、一流の芸術を存分に吸収した。ちなみに、幼い頃から日本文化に関心を寄せていたブーニンが、敬愛する芥川龍之介を初めて読んだのも14歳の頃だ。

ピアニストへの道を心に決めたブーニンは、母やエレーナ・リヒテル先生からの指導のもと、めきめきと腕を上げ、1983年のロン=ティボー国際コンクールで最年少優勝。そして1985年、ショパン・コンクールで優勝を果たす。一方、ソ連ではペレストロイカが加速し、世界情勢の緊張は高まり続けていた。ショパン・コンクール優勝後、ブーニンはヨーロッパや日本などでコンサート活動を開催していたが、コンサートは国から管理され、常にソ連の番人が彼を監視し、活動が制圧され続けていた。1988年、ブーニンは自由な表現活動のため、西ドイツ滞在時に理解のある現地人の協力を得て、母リュドミラとともに亡命を決行する。

左手の麻痺。左足の大手術。妻の支えを受け、再起の道へ

Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会

ドキュメンタリー映画『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』では、亡命後、順調なピアニスト人生を歩んでいたブーニンが2013年に活動を休止し、10年ぶりのコンサートツアーに望む姿を追う。ブーニンが表舞台から遠ざかった理由は左手の麻痺だった。左肩で起きた石灰沈着性腱鞘炎が影響し、思うように動かなくなっていたのだ。さらに同じ年、最愛の母リュミドラがこの世を去る。不運は重なり、2018年に自宅で転倒して左足を骨折。持病の糖尿病の影響で患部が壊死し始め、切断の危険にさらされた。再びピアノを弾くため、5回に及ぶ難しい手術の末、患部を取り除き、接続に成功する。左足が8cm短くなったが、特注のペダルを用いてピアノを弾ける体となった。リハビリを開始するが、ブーニンはなかなか復帰に向けて踏み出すことができなかった。音楽活動を終えることも考えたという。

8cm短くなった左足で特注ペダルを踏む
Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会

そんなブーニンをそばで支え続けたのが、妻の中島ブーニン榮子さんだ。二人は、ブーニンが1988年に西ドイツに亡命した直後に出会った。当時、榮子さんは現地でフリージャーナリストとして活動しており、日本の音楽大学から「客員教授として招聘したいので亡命中のブーニンを見つけてほしい」と依頼されたことがきっかけだった。
ブーニン夫妻は現在、ドイツ・ケルンと日本を往復する生活を送っている。ブーニンがベランダでライン川を眺めていた時にその指が動いているのを見て、再起の道を共に歩むことを決意した。

「彼にとっては聴衆が必要なんです」

夫婦の間には深い尊敬がにじみ、最上のパートナーとして互いを慈しんでいることが伝わってくる。軽やかな談笑の中でも、何か深い感覚が共有されているような、たくさんの言葉よりも目で、互いの放つ空気で、会話をするようなやり取りが印象深い。

復帰にあたって、ブーニンはピアノを習っていた頃の思い出深い小曲集、シューマンの「色とりどりの小品」を選んだ。一見シンプルなようで、さまざまな解釈ができるのだという。壮絶な闘病を経て、幾度も喝采を浴びた人々を熱狂させる楽曲よりも、ブーニンは深く人生や死について考える音楽を志向していた。
それからショパン。嵐の日に病床に伏せ、恋人を待つ中で生まれた「雨だれ」。ポーランドへの望郷にあふれた「マズルカ」。人の生死について描かれた「幻想ポロネーズ」。ほかにも、バッハやメンデルスゾーンなど、本編では復活に至る演奏を、ブーニンの内面の変遷をたどりながら堪能できる。

流れる川、風、自然との交感。楽譜を読み解き、音を受け取る

Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会

ブーニンはピアノを弾く時、「鍵盤から音楽を受け取る」と表現する。ピアノをいかに歌わせるか。それはどこか、楽器の生命を感じながら、息吹を引き出していくようなアプローチだ。鍵盤から放たれる音は、唐突な断絶や落差、過剰な演出は決して見られず、どこまでも自然な息継ぎ、よどみない流れの中に詩情性を響かせる。その音楽が生まれる背景に思い馳せると、やはりブーニンの感受の高さ、中でも自然との交感の力によるもののように受け取れる。
ライン川を前に指を動かすブーニンを見て、榮子さんが再起の道を決意したことからも窺えるように、ブーニンは自然、中でも川や風など、流れていくものと深く共鳴しているようだ。

川は、精神的に良い影響を与えてくれます。哲学的な考えを巡らせ、拒絶、恐れ、喜びといったさまざまな感情を呼び覚まします。ライン川のような大河を朝晩、毎日眺めていると、まさにそうした感情が湧き起こってくるわけです。川の流れがいろんなものを運んでくるとでもいうべきか……。あそこのバルコニーに佇んでライン川を眺めていると、素晴らしい音楽作品がつぎつぎと思い浮かぶのです。
(『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』小堺正記+NHK取材班 東洋経済新報社 2025年)

また、ブーニンは日本の自宅に戻ると、まず水を飲み、庭に出るのだという。その庭の先には森が広がっている。そこにいると創造的なアイデアが浮かんでくるそうだ。八ヶ岳の公演の際、空気と風が良いと話し、虫は嫌いと笑っていた姿も印象深い。

Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会

もちろん、ピアノを弾く上で核となるのは作曲家の思想だ。ブーニンは、楽譜に作曲家の思想が詰まっていると考える。楽譜を手紙のように読み解きながら、作曲家と対話し、作曲家の人生を思い、演奏でその心を表していく。

「ショパンは大袈裟になりすぎないことが大事。本質的ではない過剰な感情移入は邪魔になります。ショパンはリストではない。ショパンはショパン」

これはブーニンが若手ピアニストに伝えた言葉だ。本編ではブーニンが若いピアニストたちと交流し、指導する姿も見られる。これまで桑原志織、反田恭平、亀井聖矢といった世界的評価の高いピアニストたちがブーニンの元を訪れてきた。彼らがブーニンを語る眼差しは尊敬そのものだ。ブーニンの指導により、ピアノの音色が一変する瞬間を目の当たりにし、音楽が生き物であることを実感させられた。

音楽への奉仕。さらに深みを増すブーニンのピアニズム

Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会

リアルタイムではないが、私が初めてブーニンの音楽を耳にしたのは1985年にショパン・コンクールの最終審査で弾かれた「ピアノ協奏曲第1番」。粒だった音の輝き。歌っているが陶酔しきらず、抑制の効いたメリハリある音。毅然としつつ肉感のある、内側に深く響く音。楽器と一体となり、踊るように全身で弾ききる姿。限りなく飛翔していく音楽。何度聴いても胸が高揚させられた。生きているうちに生演奏を耳にしたいと考えていたところ、公演があることを知り、2025年1月に高崎芸術劇場へ向かった。

そこへ現れたピアニストは、とても情感豊かな演奏を届けてくれた。真摯に一つひとつの音に向かい合い、内側に深く潜るように紡がれる音。ファツィオリを巧みに鳴らした繊細かつ凛々しい音は、覚醒を促される心地にさせられた。そして、映画本編でも感じたが、時折ピアノの音色に重なるように他の響きが加わる感覚があった。ハミングなのかと感じたが、本当のところはわからない。辺りの空気も一緒に歌うかのような不思議な感覚で、彼の音楽ならば、そうした現象が起きてもおかしくないように思えた。

アンコールで弾かれたバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」。疾走感と清らかな静けさが共存する演奏で、胸がはやるような、浄化されていくような心地にさせられた。音階の印象がそうさせたのか、脳裏に天上に続く階段のイメージが湧き上がり、なぜだかそれはパウル・クレーの線画を思わせた。
鳴りやまない拍手。ブーニンはチャップリンのように杖を上げ、ステージを後にした。その姿はとてもチャーミングだった。

ブーニンは本編で自身の役目について「音楽への奉仕」という言葉を使っている。
多感な幼少期。栄光。圧政。亡命。闘病。復活。ブーニンは自身の人生を振り返ると、祖国を離れ、フランスに亡命し、客死したショパンと重なると語る。決して平坦でなかったブーニンの足取りをたどれば、どのような外的圧力、挫折に直面しても、純粋な美や創造性、音楽の繊細な響きは、決して消えはしないという確信を抱かせてくれる。ブーニンの芸術観、ピアニズムは、これからますます深みを増していくだろう。公開中のドキュメンタリー映画や音楽から、その世界を味わい、心身に何が発動するのか体感してほしい。

出典・参考文献:
『カーテンコールのあとで』‎スタニスラフ・ブーニン 主婦と生活社 1990年
『スタニスラフ・ブーニン ~天才ピアニスト 10年の空白を越えて~』2024年 NHK
『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』小堺正記+NHK取材班 東洋経済新報社 2025年
『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』パンフレット

スタニスラフ・ブーニン
1966年モスクワ生まれ。リヒテルやギレリス等の巨匠を育てた名教育者G.ネイガウスを祖父とするピアニスト一家で育つ。
1983年ロン=ティボー国際コンクールに17歳で優勝。1985年第11回ショパン国際ピアノコンクール優勝。圧倒的な演奏で世界的な注目を集める。特に日本では“ブーニン・ブーム”と呼ばれるほどの人気を博し、CDは異例の売上を記録。テレビ出演や写真集出版など、その活動はクラシック音楽の枠を超えて広がった。
2013年より闘病のため演奏活動を一旦停止。2022年6月八ヶ岳高原音楽堂でのリサイタルで復帰。その模様はNHKが密着取材し、大きな話題を呼んだ。

(コメント)
事故の後も、私の芸術と音楽観を支持し共有し続けてくださった多くの人たちから、今また素晴らしい支援を得られることをたいへん光栄に思っています。
感動を与えられる音楽を、と再び舞台に向かいました。それは同時に、ピアノに向かっている時だけでなく、日常生活でも時には果たせるとは限らない義務も伴いますが、何ものにも代えがたい創造の喜びをももたらしてくれます。映画を制作した方々の、音楽芸術に対する不断の関心に心より感謝し、このプロジェクトが成功することを願っています!

作品情報

『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』
Webサイト: https://movies.kadokawa.co.jp/bunin/
角川シネマ有楽町ほか全国公開中

鮮烈なデビュー、そして世界を股にかけ華々しい活躍を続けるも、2013年突如として表舞台から姿を消したブーニン病気による左手の麻痺、そして左足の一部を切除する大手術……、ピアニスト生命を脅かす苦難に直面しながらも、全身全霊でピアノに向き合い続けた。映画では2025年12月サントリーホールの最新演奏を完全収録し、至高の音楽体験とともにブーニンの内面に深く迫る。ともに復帰への道を歩んだ妻・榮子との絆、そして彼を敬愛してやまない著名ピアニストたちの証言を交えつつ、再生の旅路に寄り添い密着取材を続けた制作陣が、天才ピアニストが苦悩と葛藤の末に辿り着いた景色を描き出す。
伝説となったショパン国際ピアノコンクールでの優勝から40年。世界を驚嘆させた天才ピアニストが、長い沈黙を経てたどり着いた景色とは――。

出演:
スタニスラフ・ブーニン
中島ブーニン榮子
小山実稚恵、ジャン=マルク・ルイサダ、桑原志織、反田恭平、亀井聖矢
監督:中嶋梓 総合プロデューサー:小堺正記
製作:宮田興 遠藤徹哉 共同プロデューサー:吉田宏徳 苗代憲一郎 服部紗織 山田駿平
撮影:宮崎剛 編集:髙木健史 音楽監修:スタニスラフ・ブーニン 音楽録音:深田晃 音響効果:三澤恵美子 公演収録:メディア・フォレスト
製作:NHKエンタープライズ/KADOKAWA 制作:NHKエンタープライズ 映像提供:NHK 特別協力:日本アーティスト サントリーホール
協賛:藤野英人 ダイキン工業 伊藤忠商事 岩谷産業 阪急電鉄 三井住友銀行 村上財団 サントリー 大和ハウス工業
配給:KADOKAWA
Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会
2026年/日本/111分/5.1ch/カラー

関連記事

  • Recommend
TOP