日本人が何気なく口にする日本語。その独自性を意識して使う日本人はどのくらいいるだろう。ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字を扱い、豊富な表現、文体により繊細な機微を表現できる日本語は、世界の中でも最高難度の言語とされ、習得し、使いこなすに至るのはたやすいことではない。「美しい日本語」という言葉はよく聞かれ、特有の魅力があることを知ってはいても、特に気に留めずに日本語を使う人も多いように思われる。
アメリカ出身の日本学者・日本文学者ドナルド・キーン(Donald Keene 1922〜2019)は、生涯をかけて日本の文化、文学の魅力を探求し、後世に伝えてきた。そんなキーン氏の歩みを展観する「世田谷文学館 開館30周年記念 ドナルド・キーン展  Seeds in the Heart」が、3月8日(日)まで開催されている。キーン氏の生涯と著作を追いながら、急速にグローバル社会へと進展した現代における、日本文化・文学の持つ魅力を見つめたい。

(楡 美砂)

展覧会エントランス

日本との出会い。『源氏物語』に魅了されて

16歳 コロンビア大学入学頃  画像提供:一般財団法人ドナルド・キーン記念財団

ドナルド・キーンは1922年、貿易商の父、母の長男としてニューヨークのブルックリンに生まれる。幼い頃から非常に学業優秀で、二度の飛び級を経て16歳でコロンビア大学文学部に入学する。日本文学の世界に足を踏み入れたのは、コロンビア大学に在学中、アーサー・ウエーリ訳『源氏物語』を読んだことが始まりだった。さらに日本思想史を教えていた「センセイ」角田柳作と出会い、急速に日本文学へ関心を深めていく。

アーサー・ウエーリの翻訳は夢のように魅惑的で、どこか遠くの美しい世界を鮮やかに描き出していた。私は読むのをやめることが出来なくて、時には後戻りして細部を繰り返し堪能した。

(中略)源氏は深い悲しみというものを知っていて、それは彼が政権を握ることに失敗したからではなくて、彼が人間であってこの世に生きることは避けようもなく悲しいことだからだった。

(『ドナルド・キーン自伝 増補新版』中央公論新社 2019年)

展示風景より

太平洋戦争が始まり、キーン氏は日本語を学ぶために海軍日本語学校に志願し、卒業生総代となるほどの語学力を身に付ける。語学将校として玉砕後のアッツ島や沖縄戦へ従軍し、捕虜の通訳や書類の読解などを担った。キーン氏の信条、生きざまが垣間見られるエピソードがある。戦時中、ガダルカナル島で採集された日本兵の手帳を手にしたキーン氏は、それを戦争が終わったら遺族に届けたいと机の引き出しに仕舞っていたという。しかし、軍に露見し、手帳は没収されてしまう。

私にとって、これは痛恨の極みだった。私が本当に知り合った最初の日本人は、これらの日記の筆者たちだったのだ。
(『ドナルド・キーン自伝 増補新版』中央公論新社 2019年)

敵国の日本兵の命を尊び、残された言葉を遺族に届けようとした姿は、キーン氏が国家でなく個人を見つめる人であり、すでに高い倫理観と矜持を抱いていたことを伝える。

終戦後も日本への思いは尽きず、キーン氏はコロンビア大学、ハーバード大学の大学院で近松門左衛門の『国姓爺合戦』を研究する。1953年にはイギリスのケンブリッジ大学での講義をもとにした〝Japanese Literature″(『日本の文学』)を刊行し、日本文学研究者として着実にキャリアを積んでいった。

川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫——文学黄金期に作家たちと交流

1953年8月から1955年5月にかけて、キーン氏は京都大学大学院へ留学する。念願だった日本滞在期間中、キーン氏は日本文化を存分に味わい、歌舞伎や能、狂言といった伝統芸能を鑑賞する。狂言・文楽の稽古を重ね、著名作家たちの前で狂言の演目「千鳥」の太郎冠者を演じるなど日本文化の体得を目指した。

展示風景より

京都留学時代、キーン氏は多くの文化人と交遊を結んだ。教育社会学者・永井道雄と中央公論社社長の嶋中鵬二は生涯の友人となり、嶋中氏を通じて谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫など文豪たちと知り合い、交流を深めた。キーン氏の著作『碧い目の太郎冠者』は京都留学中の体験をもとに書かれたエッセイで、日本人にとっても自国の文化を再発見できる内容となっている。

留学終了後、キーン氏はコロンビア大学の准教授となり日本文学の講義を始める。当初は日本を再び訪れることはかなわないと考えていたようだが、以降も日本への来訪は途切れず、一年のうち半期はニューヨーク、半期は日本という往復生活を始めることになる。キーン氏と作家との交流はより深まり、太宰治、宇野千代、安部公房、火野葦平、司馬遼太郎、大江健三郎、小田実、北杜夫など、錚々たる作家たちと交流を深めていく。また、自身も文芸誌に論評を発表するなど、キーン氏は文壇での存在感を高めていく。

展示風景より

ドナルド・キーン「三島由紀夫と演劇」原稿(コピー) ©一般財団法人ドナルド・キーン記念財団

なお、私がキーン氏を知ったのは三島由紀夫の書簡集(『三島由紀夫未発表書簡: ドナルド・キーン氏宛の97通』)からだった。三島からキーン氏宛に、日々の出来事、執筆状況、書評、文壇への思い、能や歌舞伎などの舞台についてなど、自決に至るまでの日々が、いたって日常的なトーンで、時に冗談もまじえて記されている。三島作品から想起される硬質で豪奢な印象は薄く、三島の素顔が垣間見えるような興味深いものだ。同時に、「鬼韻殿」「奇院先生玉案下」などと宛てて、繰り返し贈られる言葉を追っていると、キーン氏が作家の懐を開かせる人間性の持ち主であったことがうかがえる。

展示風景より

日本文学史を発表「好きで堪らない」気持ちが原動力に

ドナルド・キーン「日本文学史を書く」講演メモ ©一般財団法人ドナルド・キーン記念財団

多くの著作の中でもキーン氏のライフワークの一つと言えるのが、古代から現代に至る日本文学の通史をまとめた『日本文学の歴史』(全18巻)だ。二十数年の執筆期間を経て1994年に刊行が始まった。キーン氏は、「外国人が日本の読者に日本文学史を発表しようとすることは相当の勇気を要する」としつつ、それでも「日本文学が好きで堪らない」ことを原動力にこの大作を書き上げた。キーン氏は執筆にあたっては自身の主観を大切にしたという。それゆえか、事実の羅列が中心の単調な歴史書とは異なり、文章に含みやリズムがあり、独自の感慨も添えられ、読む喜びを感じさせる文学作品として完成している。象徴的なのは、序文で『古今和歌集』について書かれた次の一説である。

紀貫之の手になる仮名序の冒頭には、「やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして」とある。『古今集』に収められた歌が技巧を欠いているというのではない。貫之が言わんとしているところは、歌作りにどれだけの技巧が用いられたとしても、目的は歌人の心の内を表現することであって、妙技をひけらかすことではないというのである。のちの日本文学で尊ばれる「体験への忠実さ」が、すでにこの初期の歌集でも重視されている。「たね」が心に深く根ざしていなければ、そこに咲く花は、いかに美しく見えてもまやかしであるとされた。
(ドナルド・キーン‎『日本文学の歴史』1994年 中央公論新社)

ドナルド・キーン旧蔵“Seeds in the Heart:Japanese Literature from Earliest Times to the Late Sixteenth Century”(日本文学史 古代・中世篇) Henry Holt and Company 1993年 個人蔵

この言葉はキーン氏の信条に通底する考えであり、現代を生きる人々にも深い霊感を与え続けるだろう。種が心に根ざしていない言葉は、読む者に届かず、見た目がどれほど魅力的に映っても、肌を上滑りしていく。

展示風景より

長らくニューヨークと日本の往復生活を続けていたキーン氏だったが、2011年3月11日の東北大震災を機に、日本国籍取得を決意し、翌年3月に帰化した。
本展では、愛用品や身の回りの品々も多数展示されており、キーン氏の文化的な日常生活を垣間見ることができる。大好きなオペラ、料理、友人たちや愛犬モナとの交流、掛軸、陶器、民芸品などの多種多様な収集品。日常を楽しむ達人だったというキーン氏の視点に触れると、見過ごしがちだった日常の輝きが浮かび上がってくるかもしれない。

展示風景より
ドナルド・キーン「遺愛の品々」 ©一般財団法人ドナルド・キーン記念財団
2017年12月22日 自作の料理と 画像提供:一般財団法人ドナルド・キーン記念財団

2019年2月24日、キーン氏は心不全により96歳で亡くなった。日本人として晩年を生きたキーン氏。本展では、仏壇と位牌も展示されている。こちらの仏壇は、生前キーン氏と親交のあった蒔絵の人間国宝・室瀬和美氏と数寄屋造り建築の棟梁・木下幹久氏の手によるものだ。キーン氏の生涯に思い馳せ、そっと手を合わせたくなるような空間が広がっている。

ドナルド・キーン「厨子」(お仏壇) ©一般財団法人ドナルド・キーン記念財団

脈々と受け継がれた日本の心を見つめ直すきっかけに

現代人にとって日本の古典文学は、どこか遠い世界のようで、現実味を感じられないという人は多いだろう。背景には、美的感覚や時間感覚の隔たりなど、さまざまな理由が考えられる。今日の世間で話題になる事象の多くはインパクト重視なものであり、慎ましく、余白があり、主張よりもにじみから生まれる日本の古典美は、どうしても目立ちにくい。また、そうした古典美に着目されたとしても、SNSや広告等の象徴的な切り取りにより収束することが多く、人々が日常生活の中で沁み入るように実感する機会は限られている。

時間感覚の話をすれば、日本語は時間の流れを共有できる、稀有な特徴を持つ言語だ。順序を追って話すことができ、結論は最後にやってくる(結論がない場合もある)。その特徴が英語と比較され、短所とされることはしばしばだ。「結論は何ですか」「要点を言ってください」と制され、自然と生まれ出ようとする言葉を封じ込める事態となることは、ビジネスではさして珍しいことではない。経過や余剰をそいだ結論、情報のみを伝える機会が一般化する中、感性的に意識をたどる発話は日常の隅まで追いやられてしまっている感じがある。それはどこか、あまりに平和で、ゆったりとしており、現代の喧騒や、逼迫した社会とは通じ合いにくいのだろう。

とはいえ、現代まで脈々と受け継がれている日本の精神性は存在するはずだ。古典への回帰を目指すのは極端な話だが、少し視点や意識を変えることで、見える世界が一変するかもしれない。大切にしたいのは「人の心を種として」いるか。その視点はきっと、自らの感性をほどき、外界と交感を生むきっかけとなるだろう。
キーン氏の生涯をたどっていくと、信条、探究心の深さとともに、日常の日々を愛する尊さが身に染みて感じられる。本展はいよいよ3月8日(日)まで。キーン氏の視点に触れ、日本の文化・文学、そして生活を見つめ直してみてはいかがだろう。

展示風景より
出典・参考文献:
「世田谷文学館 開館30周年記念 ドナルド・キーン展  Seeds in the Heart」パンフレット
ドナルド・キーン‎『ドナルド・キーン自伝 増補新版』中央公論新社 2019年
ドナルド・キーン‎『日本文学の歴史』中央公論新社 1994年
三島由紀夫『三島由紀夫未発表書簡: ドナルド・キーン氏宛の97通』中央公論新社 1998年

展覧会情報

会期:2025年11月15日(土)~2026年3月8日(日)
会場:世田谷文学館2階展示室
開館時間:10:00~18:00
(展覧会入場とミュージアムショップの営業は17:30まで)
休館日:毎週月曜日(但し、月曜が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)、館内整備期間
Webサイト: https://www.setabun.or.jp/exhibition/20251115-202600308_donaldkeene.html

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